高森明勅

憲法は国家権力を縛る?縛らない?

高森明勅

2014年 6月 2日

立憲主義とは何か?

近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組み」(長谷部恭男氏)
とか、「憲法をつくることによって政治権力を縛る」(杉田敦氏)
というのが、一般的な理解だ。

近代的意味での「憲法の目的」自体、普通には
「国家と国家の機関に国民が権力を与え、
与えた権力を制限すること」
(戸松秀典氏)とされる。

ところが、“現代”立憲主義は国家権力への制約を全面的に放棄した、
という珍説を主張する憲法学者(?)がいる。

八木秀次氏だ。

いわく、
「国家権力を縛るのではなく、
逆に活用して国民の福祉を図る
という考えになった」と(
産経新聞5月8日付「正論」)。

彼は『正論』7月号でも、相も変わらず
「最近、『立憲主義』を『
憲法が国家権力を縛ること』
とする定義が罷り通っている。
狐につままれた思いだ」
などと述べている。

ーと思ったら、一方ではこんなことも言っていた。

「要するに『立憲主義』とは憲法で国家権力を縛ることだけを
いうのではなく、現在では、
広く『憲法に従って国家運営をすること』
をいうのだ」と。

???

 「縛ること“だけ”をいうのではなく」というのは、
憲法で国家権力を縛ること」を決して否定していない。

むしろ、それを前提にした言い方だ。

更に「憲法に“従って”国家運営をする」というのも、
憲法の制約下に国家の運営をすることだから、
これまた「
憲法が国家権力を縛ること」が当然の前提になる。

八木氏は、先の一文から1ヶ月も経たない内に“変説”したのか。

彼にとって、憲法は国家権力を縛るのか、縛らないのか。

こちらの方こそ「狐につままれた思い」である。