高森明勅

リベラルの国家擁護論

高森明勅

2015年 6月 30日

グローバル化の趨勢の中で、近代国家はやがて終わりを迎える。

それは不可避だし、歓迎すべき未来だーという見方がある。

リベラル系の論者ほど、
声高にそうした主張を唱えている印象がある。

だが、法哲学者の井上達夫氏の意見は少し違う。

彼は、こんなことを述べている。

主権国家を何のためにつくったかというと、
個人の基本的な人権を擁護するためには中間的な社会的諸権力より
強力な権力が必要だから…主権国家の存在理由は、
実は人権の実効的保障、それ以外にない」

「(国連やEU、国際的NGOなど)非国家的あるいは
超国家的アクターが、
国家以上に人権保障において
よいパフォーマンスをもち得るか。

これはリアリスティックに見ると、実はそうじゃない。

なぜそうなるかというと、やっぱりここでアカウンタビリティ、
答責性』ということが問題になる。

要するに、何かあったとき、国家というのは逃げも隠れもできない」

価値はグローバル化していかなければいけない…
人権といった価値もそう…しかし、それを実行する基本的な
主体として信頼できるのは、
やっぱり国家だろう…
グローバルジャスティス(世界正義―
引用者)のなかで、
主権国家秩
序を脱構築するんじゃなくて、
再構築しなければいけない」

リベラリズムの立場からの興味深い国家擁護論だ。