高森明勅

憲法学者は知恵を出せ?

高森明勅

2015年 6月 17日

先頃、菅官房長官は安保法制合憲論を唱える憲法学者を問われて、
僅か3人しか名前を挙げることが出来なかった。

安倍政権のブレーンと称する八木秀次氏の名前はない。

どうなっているのか?
と思っていたら、産経新聞(6月17日付)

本人がこんなことを書いていた。

「(安保法制関連法案と)憲法との矛盾は誰でも指摘できる。
しかし、
わが国は生き残らなければならない。

…矛盾を矛盾と知りつつ、
知恵を出すのが常識ある憲法学者の役割ではないか。

世の嘲笑の対象になることは避けなければならない」と。

いつもながら「正直」な人だ。

安保法制と憲法が「矛盾」すると言い切っている。

ということは、私の想定とは違い、彼は違憲論だった。

でも背に腹は替えられないのだから、
世の中の「常識ある憲法学者」よ、何とか知恵を出してくれ、
と訴えている(懇願、哀願している?)。

ということは、これも私の想定とは違い、
八木氏本人は憲法学者ではなかった、
と見なければならない。

もしご本人が憲法学者なら、中国の脅威を前に
「安保法案あげつらう余裕はない」なんて、
立憲主義を真正面から踏みにじる暴論を掲げていないで、
自ら率先して知恵を出して見せるはずだから。

なるほど、菅官房長官が八木氏の名前を出さなかったのは、
当然だった。

彼を“合憲論”の“憲法学者”と錯覚していた、
我が不明を恥じるのみ。

それにしても、知恵を出さねばならない理由が振るっている。

「世の嘲笑の対象」になるのを「避け」るため、だと。

この人物の本音がよく分かる。

だが、およそ学者たる者の最低限のモラルは、
たとえ世の嘲笑の対象になろうと、
あるいはその他諸々の不利益を被ろうとも、
己れが真実と信じることだけを述べる、という一点ではなかったのか。

「曲学阿世」という言葉を久しぶりに思い出した。