時浦兼(トッキー)

香山リカが信頼するアイヌ「専門家」が言ってること

時浦兼(トッキー)

その他ニュース
2015年 4月 2日

香山リカの決まり文句は、

「アイヌが民族であることは

もう議論の余地はない。

国際社会でも専門家の間でも

決まっている」です。

 

じゃあ「国際社会の決定」は

絶対なのか?と聞くと、

香山は対談の場で何度も

「私は国連を絶対視しているわけではない」

と逃げを打ちましたし、

「国際社会が決めたから捕鯨反対か?」

と聞かれれば、決して答えられないでしょう。

 

また「専門家」にもいろいろいます。

「原発は安全だ」と言ってる「専門家」も

いっぱいいますが、香山はこれを

「専門家」だからと信用するのでしょうか?

 

さて、香山が信頼しているらしき「専門家」に、

北海道大学准教授の丹菊逸治なる人物がいて、

香山らと本出したりトークイベントやったり

してるのですが、この「専門家」はこう言ってます。

 

「例え固有の言語や伝統文化が失われたとしても、

過去との連続性を保ち、

同じ民族に属するという意識を持った人々の

集まりである以上、アイヌは民族として存在する」

(どうしんウェブ 2014/8/21付)

 

是非答えてもらいたいのですが、

言語でもない、伝統文化でもない

「民族」としての「過去との連続性」って、

具体的に、一体、なんのことですか!?

 

もちろんアイヌの場合、

「血統」も果てしなく薄まっているから、

それもありえません。

 

それでも「民族」としての

「過去との連続性」を

担保しうる客観的要素って、

何が存在するのですか!?

 

結局、それは本人が

「同じ民族に属するという意識を持っ」ている

という、主観的要素しかないんじゃないですか?

「本人がそう思っている」だけじゃ、

「民族」としての「過去との連続性」などとは

到底いえないことは誰の目にも明らかです。

 

しかもこれは本人がその「意識」を持たなければ

「民族」を辞められるということですが、

そんなものを「民族」と呼べるのでしょうか!?

 

結局は、例の「3つの質問」に行きつくのです。

 

質問1 アイヌの血が1%、和人の血が99%になっても

     「アイヌ民族」なのか?

質問2 アイヌ語も話せず、アイヌ文化を
     一切継承していなくても

     「アイヌ民族」なのか?

質問3 自分の意思でやめられるようなものを

     「民族」と言えるのか?

 

香山リカはおちゃらけるばかりで

決して答えないので、代わりに

「専門家」の丹菊逸治に

答えていただきたい。

 

でも所詮、香山リカの

お仲間じゃ、無理かな?

 

文化人類学者の河野本道先生が

先日亡くなり、こういう「専門家」が

調子に乗りつつあるようで、

実に憂慮せざるを得ない事態です。