時浦兼(トッキー)

アイデンティティーと常識、道徳

時浦兼(トッキー)

ゴー宣道場・公論イベント
2015年 12月 4日

門弟メーリングリストの
投稿からご紹介します!


 先月25日に映画「レストレポ前哨基地」
&トークライブを観ての二日後、
11月27日のよしりん先生のブログは
「9.11直後出版の『戦争論2』を再読せよ! 」でした。
「戦争論」シリーズの中でも特にずっしり厚い
(550ページ近い!!)この本は、
あの9.11に貿易センタービルに突っ込んだ
旅客機テロで刻々と崩壊していくビルの様とともに
「その手があったか~~~っ」の言葉があります。
序章を描いてから出版まで何と二か月ほど!
だったという驚愕の本なのですね。
 心血注いですぐに伝えたい事がある、
「一日に何ページ描いて、何日で出来上がる予定です」
なんていうもんじゃなく、
濃く凝縮してドワッと燃え上がるようにできた
「本」なのだと改めて手に重みを感じました。
 「再読せよ!」の言葉通り、その第1章
「同時多発テロはアイデンティティーウォーである」は、
一字一句も外せない、突き上げてくるような
緊迫した「詩」となっています。
その鋭い分析は真実、そのまま「今」になっている、
こういう「違和感」などと生やさしいものではない
決して相容れない悲憤に満ちた「戦争」の蓋は
すでに開いてしまったのです。
 前述の映画の場面を思い出します。
米兵とアフガン住民の間に見交わされる目は、
「根本的に相容れない」の映像でした。
 キーになる出来事に「牛」があります。
長老の一人の飼い牛が米兵に殺される。
あの荒涼とした山岳地帯で育てた牛一頭は大財産のはず。
それへの抗議に、米兵は「有刺鉄線で傷ついて
すでに弱っていたから殺した(安楽死させた)のだ。
仕方なかった。」と言い訳する。
 それに対し、飼い主は(心閉じたまま)
通訳を通じて金で弁償の交渉をする。
 そういう場面の合間に、米兵達の食事の様子も映され、
そこには料理人とじゃれ合いながら、新鮮な!肉を
上機嫌で喰らう場面もある。
---映画の本編が終了しクレジットが上がっている
場面になってから、米兵達が嬉々として「食材」として
牛の首を切り裂いている映像が挿入される。
「わーい、ビフテキだー」とでも言うようなノリで。
(・・このシト達、肉食獣だ・・・当たり前のように・・・;;)
 「牛」の扱い・意味がこの映画のキーポイントだ、
と最後の場面で照らし出される仕掛けと思いました。
 それぞれの地に歴史の中で引き継がれ、
その中で育ち意識さえしなくなっている
「価値観」があります。
そこにグローバリズムの名目で、
世界に敵無し・自国の市場経済と民主主義が
普遍のものだと思い込んでいる軍事大国が乗り込んでくる。
--その違和感、やがて悲噴、怨念、憎しみ
---そして「テロ」という手段へ---。
 戦争は「国際社会VSテロ」「文明市民社会VSテロ」
などという構図・演出は通用しない、いや嘘っぱちである。
今起きている・これから続いて行く戦争は
「アイデンティティー・ウォー」である、
という認識を持つ時がとっくに来ているのだと思います。
 
 「戦争論2」の序章の最後は
「大敗戦を喫した日本の先の大戦を徹底的に分析し 
我々は意識下に眠る何かを
・・・喪失してしまった何かを探さねばならない。
日本人の真の姿と巡り会ってみなければならない!」と結ばれます。
 「大東亜論」も、そして今度の道場のテーマ「道徳」も、
それに迫って行くものと考えます。
 私達の中にあるもの(アイデンティティー)
---近くは「常識」「道徳」として顕れるもの、
それがどこから来るか。
そして戦後70年の間に何にどんな形で影響されてきているか。
同じ日本人どうしの中でも必ず起こる齟齬・違和感の
構造に向き合って考察するのも今回の道場と思います。


『戦争論2』も『レストレポ前哨基地』も
『大東亜論』も、そして
今回の道場テーマ「道徳」も
すべてが繋がっています。
まずは日本人のアイデンティティーを
意識するところから始まるのでしょう。

12月13日午後1時から
ニコニコ生放送!

今回は、いつもの第1部無料放送に加え、
チャンネル会員の方には
第2部も生放送の予定です!