小林よしのり

デモに行かない者にかかる「同調圧力」

小林よしのり

マスコミ・報道
2015年10月10日 03:28


AERA」に星野博美という人がシールズ礼賛記事を書いている。

そこにこんな一節がある。

「自分には持てなかったその勇気は多くの人を揺さぶり、

心の準備ができない人を苛立たせもする。」

これが問題なのだ。

星野氏はデモに行くことを「勇気」と言う。

デモに行かなかった者は「勇気」を持てなかった者にしてしまう。

恐ろしい同調圧力だ。

 

戦前もこういう人間がいっぱいいたのである。

若者を万歳三唱で戦地に送らぬ者は「非国民」とされ、

最終的には神風特攻に志願するのが「勇気」、拒否すれば「非国民」

という同調圧力すらかかるようになっていった。

 

シールズを礼賛する人々の多くが、こういう「正義」を妄信する

パターンに嵌っていて、デモに行かない「勇気」があるという

ことには全く思いが至らない。

それほどまでにシールズのデモを「正義」だと信じ込んでいる。

「反戦」の者が、実は「好戦」だというこのパラドックスが

分からぬ者が、安易に戦前の日本人を非難する。

 

こういう危ない傾向を食い止めるために、わしは薬害エイズ運動

の総括として『脱正義論』(幻冬舎)を出した。

当時の薬害エイズと、今の安保法制では、その切実さが比べもの

にならないのだが、今のナイーブな人々の増加は異常だ。

 

星野氏は、シールズが主催するデモに初めて出向いたのは、

「社会を変えてもらうためでも、夢を託すためでもない。

もしかしたら、昨日とは少し違う自分に、国会前で会いたかった

のかもしれない。」と告白している。

つまり、こういうことなのだ。

「自分さがし」なのである!

 

オウム真理教に嵌っていく若者も、ナイーブで、自分さがしの

病を抱えていた。

「個」がふらついているから、同調圧力に負け、デモの集団に

混じって「正義」を手に入れたくなる。

カルトに嵌る連中はこういうナイーブな心理を持っている。

 

わしはオウム真理教と戦い、暗殺されかかった者として、

薬害エイズ運動を手伝い、総括として『脱正義論』を描いた

大人として、やっぱりこう言っておかねばならない。

 

「デモに参加しない若者は、同調圧力に負けるな!」

「日常を手放すな!」