高森明勅

「平成」から次の元号へ(3)

高森明勅

2016年 8月 1日

新元号の候補案はいつ用意されるのか。

確かなことは分からない。

だが皇位継承後、畏れ多いことながら、
いつ次の皇位継承があるか、
予測し難い。

しかも、改元は遅滞を許さない。

よって、それは早く用意されるはず。

つまり現時点では、とっくに用意済みと見るのが当然。

若干名の学識経験者に委嘱して、
それぞれ複数の候補案を出して
貰っているはずだ。

昭和から平成への改元の時には、それらから予め3つ
(「正化」「
修文」「平成」)に絞って、「元号に関する懇談会」
メンバー8名を集め、そこで最終案1つを選んだ。

この時の8名は、文化勲章受章者で東大名誉教授(2名)、
国立大学協会々長で東大総長、日本私立大学連合会々長で
早稲田大学総長、NHK会長、
日本新聞協会々長で読売新聞社長、
民間放送連盟会長、
元国立婦人教育会館々長でNHK解説委員という
メンバーだった。

新元号が外部に漏れないように、
審議の途中でメンバーがトイレに行く
時も、
事務官が同行したという。

前例では、新元号最終案が選ばれると、宮内庁長官が天皇陛下に上奏。

この時、陛下の「ご聴許(聞き入れて許す)」が行われた、
と見なし得る。

又、内閣官房長官が衆参両院の正副議長の意見を伺い、
賛同を得ている。

そうした手順を踏んだ上で、閣議で「元号を改める政令」
政令第1号)を決定し、陛下のご決裁、公布という運び。

元号は、天皇が最終決定する「勅定(ちょくじょう)」という形式が、
武家時代にも貫かれた。

大切な伝統だ。

平安時代以降、学者が提出した複数の候補案から公卿
(くぎょう、上級貴族)
の審議で1つに絞られ、その最終案を
天皇が承認される形。

今の憲法下で初めてだった平成への改元でも、
その伝統は守られたと見てよかろう(元号法制化当時、陛下の
ご聴許”の重要性を訴えられたのは葦津珍彦氏。

『中央公論』昭和54年7月号)。

平成から次の元号への改元でも、その点が等閑(なおざり)に
されることは、よもやあるまい。

終)