小林よしのり

「承認願望」は民主主義の病い

小林よしのり

日々の出来事
2016年 6月 8日


日本だけなのか、世界中なのか、人々の「承認願望」がどんどん

強くなってる気がする。

フェイスブックやツイッターその他SNSの発達で、「私を見て!

私を承認して!私は凄いでしょ!私は特別でしょ!」という

「承認願望」は膨張する一方で、ついには増上慢が噴き上がって、

「俺さまはえらいだろう!」という手が付けられない輩が跋扈

するようになった。

家族や共同体の崩壊が進む中で、今後もこの傾向は肥大していく

ことだろう。

 

わしのような創作物を売って商売している者は「承認願望」が

必要な人種である。

なるべく多くの人々から承認されなければ食っていけない身分だ。

承認されたいのが先か、食い扶持の確保が先かと言えば、わしの

場合はどちらでもなくて、創作意欲が第一である。

「こんなことは人が考えたことがないのではないか?こんな物語

を生み出したい。こんなキャラやこんな場面を絵にしてみたい」

という欲望がまず第一に湧いて出て来る。

 

漫画をカットとして描き始めたのは幼稚園の頃からで、ストーリー

を描き始めたのは小学生になってからである。

最初の読者は妹だけで、次に近所の子となり、さらにクラスメート

となっていく。

高校生でプロを意識して、大学生では漫画愛好会などには入らず、

雑誌に投稿するようになった。

 

創作者は個人的な創作意欲を、いっそ商売にすることで生活を成り

立たせることができれば・・と思うから「承認願望」が必要になる。

わしの場合は「承認願望」=「商売」なのだ。

「承認願望」を捨てたら、作品は描くだけで満足して、自分の机の

中にしまっておくだけになる。

創作したものを「見てほしい」という意欲が第二に出て来るから

「承認願望」に繋がる。

 

最近の人々がSNSで「承認願望」を充たすのと、作家の場合は

全然違う。一般人の「承認願望」はいくらか病気の傾向がある。

例えば秘書みなぼんは、それらSNSで何かを発信することは

全然ない。

みなぼんの「承認願望」は仕事を通じて、わしに認められること

くらいだろう。

よしりん企画のスタッフたちも、仕事を通じてわしに承認され

ればいいだけで、SNSで他人に繋がる意欲はないようだ。

 

昔は誰もが家族・友人・職場くらいから承認されれば、それで

充足していた。

だが、SNSが登場して、人々の「承認願望」は爆発的に肥大した。

「私を見て!」「俺さまを見よ!」の大合唱となった。

まさに「民主」の「主義者」である。

 

人を見るときに、この人物は「承認願望」が肥大した者か否かで

判断するのは大切である。

わしは言論人・知識人まで、そのように見ている。