笹幸恵

政党政治の成り立ち

笹幸恵

2017年 11月 6日

日本の政党政治の成り立ちについて、
ただいま少しかじり中。

 

明治憲法は、幕府的存在の出現を防止することを

目的とした、比較的厳格な権力分立制だった。

 

と、『日本の近代とは何であったか』(三谷太一郎著)に

書かれています。

それはつまり、

「立法と行政との両機能を連結する政党内閣を

本来排除する志向を持って」いた、とも。

 

ところが、この権力分立制は結構な問題点を抱えていました。

天皇は政治的な役割を担う存在ではありません。

内閣総理大臣も今のような地位になく、閣僚への統制力もない。

最終的に権力を統合する制度的な主体を欠いていた、というのです。

 

そのため、

「憲法を統治の手段として有効に作動させるために、

何等かの幕府的存在の役割を果たしうる

非制度的な主体の存在を前提としなければならなかった」わけです。

 

その最初の存在は「藩閥」。

ところが藩閥では衆議院を掌握できなかった。

一方の反藩閥勢力は、政党として地方に拠点を据え、

衆院選挙に勝てる仕組みをつくるようになった。

けれども明治憲法下では、衆議院の多数が

権力の獲得を保障しない。

 

というわけで、藩閥と政党は互いに接近。

「政党は藩閥化し、また藩閥は政党化」し、

明治33年、伊藤博文は立憲政友会の初代総裁になりました。

権力分立=反政党的な統治形態を目指したがゆえに、
政党政治が生まれてきたという、パラドックス。

 

「高度に権力分立的な憲法は、それだけでは国家を統治する

有効な道具とはなりえませんでした」

と、三谷氏は書いています。

 

それから政党政治が終焉を迎え、「立憲的独裁」が

政治学者の蝋山正道によって提唱される…わけですが、

このあたりになると頭パンクの予感がしましたので、

今日はここまで。