高森明勅

聖武天皇のお言葉から

高森明勅

2017年 10月 28日

過日、図らずも馬淵澄夫氏の口から、
聖武天皇のお言葉に改めて触れる機会を得た。

そこで、歴代天皇に受け継がれた
精神を拝する緒(いとぐち)として、
甚だ非礼ながら、聖武天皇のお言葉を断片的に紹介しよう。

「冤(あた)を除き祥(よきしるし)を祈ることは、
必ず幽冥(
ゆうめい、神仏)に憑(よ)り、神を敬ひ仏を
尊ぶることは、
清浄を先とす」
(神亀2年〈725〉7月17日)

「責め深きことは予(われ)に在(あ)り」
(同年9月22日)


「朕(われ)は百姓(はくせい=国民)の父母(ぶも)とあり。
何ぞ憐愍(あわれ)まざらむ」
(同3年6月14日)


「天下(あめのした)とこの歓慶(よろこび)を共にせむ」
同年9月12日)

「朕、徳を施すこと明らかならず、なお、懈(おこた)り
缺(か)
くること有(あ)るか」
(同4年2月21日)


「安不(あんふ)の事、予一人に在り」
(天平2年〈730〉
4月16日)

「実(まこと)に朕(わ)が不徳を以(もち)て致す所なり」
同年7月5日)

「責めは予一人に在り」
(同6年7月12日)


「(地方行政にあたる国司らの)或人(あるひと)は
虚事(
そらこと)を以て声誉(ほまれ)を求め、或人は
公家(おおやけ)
を背きて私業(わたくしのなりわい)に向へり。
此(これ)に因(
よ)りて、比年(このころ)、国内(くぬち)
弊(つい)え損(
そこな)はれ、百姓困乏(たしな)めり。
理(ことわり)然(
しか)るべからず」
(同7年閏〈うるう〉11月21日)

「事(こと)成り易(やす)く、心至り難し」
同15年10月15日)

まことに舌足らずな引用ながら、
千年以上の歳月を隔てて、
なお今上陛下と一貫する精神を、
はっきりと感じ取る事が出来るのではあるまいか。