小林よしのり

自主規制はどんどん強化されている

小林よしのり

日々の出来事
2018年 6月 19日

昨日、「FLASH」『よしりん辻説法』のコンテを
見せたが、やっぱりある言葉が問題になった。
上に相談して使用できるかどうか、判断を仰ぐという。

予想していたが、自主規制はしょっちゅうの事だ。
あれもマズい、これもマズい、誰かが傷つくかもしれない、
抗議があるかもしれない、それで表現を変更する、
柔らかくボカす、誤解されないように注釈を入れる、
自分の100%満足する表現なんて出来ない。

その窮屈さは年々、増してきていて、10年前、20年前に
比べたら、相当窮屈になっている。

また「オレのプライドが傷つく」という奴も昔に比べたら
はるかに増えてしまった。
一人ひとりの気持ちにまで配慮してたら、何も描けない。
どこかで必ずプライドが傷ついている者がいるはずだ。

今回の『よしりん辻説法』のコンテは、相当、そういう
自主規制に配慮して描いた。
ラストのコマなどは完全に「自己妥協」で、「あくまでも
わし個人の考えだ」と念を押してしまった。
こんなことはしたことがないが、しょうがない。

それでも、どうしても現代風に言い換えたらダメな言葉
があった。
一応、その注釈もコマを取って書いたのだが、それでも
言葉自体が引っ掛かるかもしれない。

だが、わしの子供時代は、その言葉しか使っていなかったし、
現代風の言葉に直したら、嘘になるし、意味も違ってくる。
わしの大事なエピソードの一つだし、使えないのならば、
いっそ「××」と伏字にしてしまおうと思っている。
本当の言葉を使わせてくれる別の媒体で、もう一度この
エピソードを描くしかない。

今でもこんなに自主規制が強いのに、これで共謀罪とか、
セクハラ糾弾とか加わったら、さらに表現の枠は狭まって
しまうのだろう。
ディストピアへの道を確実に突き進んでいる。
表現の場では、それを実感できるが、一般人は分かるまい。
気づかないうちに言葉が消滅しているだけだから。