泉美木蘭

上から目線の構造

泉美木蘭

2016年 11月 7日
笑いってすごく大事だと思うけど、やっぱりどうもネットは「せせら笑い」の
ほうが蔓延ってしまう世界かもしれないね。

心理学者の榎本博明氏著「上から目線の構造」という本を読んだのだけど、
わかりやすくてとても面白かった。
人を見下すような発言を連発して迷惑がられる人は、
その人自身が強烈な
「見下され不安」に苛まれている《劣等コンプレックス》
の塊なのだ、と。
こういう人は、なにかにつけて「人より優位に立ちたい」と考えているので、
「人から見下されているのではないか」という邪念にとらわれ過ぎて、
人の話をすぐに《優劣》だけで判断して片づけてしまう。

相手がまともな話をしはじめると、「自分が劣勢に立った」と感じてしまい、
素直に聞いてみるということができず、被害者意識を膨張させてしまったり、
攻撃的な態度に出たりしてしまう。
あるいは、「相手よりも優位に立とう」として尊大な態度をとってしまう。
他人が親心から真面目にアドバイスをしてあげても、「見下された!」としか
感じないからいつまでも成長できない。
誰からも相手にされない悲しい未来に向かって突き進んでしまう。

自信のない人間ほど「今の自分」にこだわる、という言葉も印象に残った。
「自信」と表現されると、そんなのなかなか持てないと感じる人もたくさんいる
じゃないかと思うけど、つまりは「心の余裕」のことだ。

誰にでも欠点があり、どんな人でも劣等感を持つことはある。
そして、欠点や劣った部分があったところで、その人の人間的価値にはなんの
関係もない。
欠点? そりゃあるよ、しょうがないじゃないか」と思えばよい。
心にそのような余裕があれば、他者の意見を取り入れて、抵抗なく自分を変えて
いくことができる
。つまり、成長できるということだ。

ところが、劣等感にとらわれ過ぎて、コンプレックス化してしまうと、
自分の等身大を認めることができず、反射的に他者の意見を拒絶してしまう。
これでは成長もできない。
「今の自分」にこだわって縮こまることで、自分の欠点から目をそらしてしまう。

他者から意見されたとき、「自分が否定された」と受け取って過剰に反応して
しまった場合は、まず「自分はバランスを崩しているかも?」と考え、
「今の自分」に
こだわりすぎて成長を拒絶していないか、俯瞰してみるのがいい
かもしれない。

自分が間違っていたとしても、別にそれを怖がる必要なんかないと思う。
間違えた、と思い、そして変化すればいい。
世の中は、間違いのない完璧な人間より、間違いを反省する正直な人間への
視線のほうが100倍あたたかいもの。

だいたい、間違えることが許されなかったら、あたしなんかやってらんないわよ。