その人自身が強烈な「見下され不安」に苛まれている《劣等コンプレックス》
の塊なのだ、と。
「人から見下されているのではないか」という邪念にとらわれ過ぎて、
人の話をすぐに《優劣》だけで判断して片づけてしまう。
素直に聞いてみるということができず、被害者意識を膨張させてしまったり、
誰からも相手にされない悲しい未来に向かって突き進んでしまう。
「自信」と表現されると、そんなのなかなか持てないと感じる人もたくさんいるん
誰にでも
欠点があり、どんな人でも劣等感を持つことはある。そして、欠点や劣った部分があったところで、その人の人間的価値にはなんの
関係もない。
「欠点? そりゃあるよ、しょうがないじゃないか」と思えばよい。
心にそのような余裕があれば、他者の意見を取り入れて、抵抗なく自分を変えて
いくことができる。つまり、成長できるということだ。
自分の等身大を認めることができず、反射的に他者の意見を拒絶してしまう。
これでは成長もできない。
「今の自分」にこだわって縮こまることで、自分の欠点から目をそらしてしまう。
他者から意見されたとき、「自分が否定された」と受け取って過剰に反応
してしまった場合は、まず「自分はバランスを崩しているかも?」と考え、
「今の自分」にこだわりすぎて成長を拒絶していないか、俯瞰してみるのがいい
かもしれない。
自分が間違っていたとしても、別にそれを怖がる必要なんかないと思う。
間違えた、と思い、そして変化すればいい。
世の中は、間違いのない完璧な人間より、間違いを反省する正直な人間への
視線のほうが100倍あたたかいもの。
だいたい、間違えることが許されなかったら、あたしなんかやってらんないわよ。