泉美木蘭

なぜ報道の自由が必要なのか

泉美木蘭

2016年 4月 21日
20日発表の国境なき記者団による「報道の自由度ランキング」を見た。
上位はフィンランド、ノルウェー、デンマークなど北欧諸国の名が並び、
下位はいつも、北朝鮮、シリア、中国などジャーナリストに対する拷問が
明らかになっている国名が並んでいる。

日本は、2010年には180ヵ国中11位だったが、
東日本大震災発生後、
福島第一原発の事故についての報道規制を
発端に年々順位を下げてゆき、
2014年は59位、2015年は61位、
そしてついに、今年は72位という
報告結果となっている。

国境なき記者団は、特定秘密保護法が施行された後の日本について、
メディアが自主規制に動くのは、『とりわけ(安倍晋三)首相に対してだ』
と指摘しているが、
本来なら、こういったことは外部から言われる前に、国内のメディアが、
もっと敏感に、もっと憤然と、確固たる怒りを表明するべきことなのに、
それができず、あくまでも「国際機関はこう見ているようだ」という言い方
しかできないところに、状況の悪辣さを感じる。


放送法 第二章 放送番組の編集等に関する通則

第4条 
放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)
放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければ
ならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点
を明らかにすること。


そもそもこの第4条の二って憲法に触れないのかな?
高市大臣a.k.a.安倍政権は、「政治的公平性」をやたら振りかざすけれど、
《政治的に公平》と規定する価値観そのものが、すでに公平でない場合も
あると私は思う。
全体を飲み込みながら膨張し、暴走していく魔物を止めるためには、
その時の世界が規定するバランス状態を疑い、逸脱できる批判力が
必要になる場合もあると認め、そのための
自由を担保しておくのが、
全体のための「必要」ではないかと思うのだけど・・・
どうなんだろう?

こういった状況に加えて、パナマ文書みたいな、私腹だけの富裕層の姿を
見せられると、そういった一部の人間が政治権力者を牛耳り、
ひいてはメディアを牛耳っていくことになったら、
弱者は、情報においても弱者になるしかなく、
本当に、単なる烏合の衆になり果ててしまうのではないかと不安になる。