小林よしのり

表現者の「業」を理解した3人

小林よしのり

日々の出来事
2018年 10月 31日

時浦を通して、門下生から抗議があった。
「小林よしのりは弱者の気持ちが分からない。」
「門下生のことをブログに書いたら、弱者は傷つくから、
狂っていく」と言うのだ。

わしが門弟・門下生のことをブログに書くときは、
特定個人の名前は出さない。
個人に限らず、普遍性のある件だと思うときに、
匿名で、同様の人は他にもいるという前提で書いておく。
あくまでも「公共性」があるから書くのだ。
だが、「これは私のことだ」と思ったら、実は私だけの
ことではないのに、傷つくのだろう。

しかし、言っておくが表現者は、自分の目に映ることは
何でも書いてしまう。
かつて、この表現者の「業」を理解してくれた者が3人
いた。

まず、わしの父親だ。
親戚のことを描いて、親戚一同に責められたとき、父が
「よしのりは作家だから仕方がない。それが作家だ」と
かばってくれたのだ。
わしは驚いた。文学的感性などないと思っていた父が、
わしの身内の中で一番、わしを理解していたのだ。

次に堀辺正史と高森明勅。
わしが某論客を実名・似顔絵でボロクソに描いたとき、
その論客と親しい人物が「こんな描き方は品がない」と
面と向かって批判してきた。
そのとき二人はこう言った。
「小林よしのりと付き合う者は覚悟しなきゃならない。
他人に向かってる矢が、あるとき自分に向かってくる
かもしれない。小林よしのりはそういう作家だ。
どう描かれても仕方がないと覚悟して付き合うしかない」

わしの表現者としての「業」を理解してくれた者は、
忘れない。
ひょっとしたら男しか理解できないのかもしれない。