高森明勅

近代的自我とは?

高森明勅

政治・経済
2019年 3月 2日
社会学者の見田宗介氏が、
“近代的自我”について興味深い指摘をされていた。
 
「文学にあらわれた『最初の近代人』
といわれることもあるハムレットは、
亡霊の場や、共同体を
身体とみる感覚にも示されるように、
前近代の身体感覚をまずは生きていたはずである。
けれども第1幕2場、新国王の結婚・即位発表の場に
初めて登場するこの王子は、母を奪い父をおそって
即位した新国王、今はその妃である母、そして
廷臣たちという複雑な〈関係の磁場〉で、
交錯する視線にさらされる自己の身体の
よそよそしさと、誰にも言うわけにはいかない
『内面の真実』という、デカルト的な身心の分離を強いられる。
…このように、〈関係の交錯〉の強いる
“居心地の悪さ”が、原理として一般化した
状況こそが〈近代社会〉ではなかっただろうか。
近代的自我とは、このような『居心地の悪さ』の中で、
身体がみずからの『内部』に向かって析出する
幻影であるかもしれない」
 
近代的自我とは、
近代社会が恒常的・構造的に人間の身体に強いる
「居心地の悪さ」に対応して、身体自身がその内部に
作り出した「幻影」で、主語はあくまでも“身体”
 
面白い仮説だ。