昨日、配信された「漫画ブック」の『最終フェイス』を読んだが、今回もつくづく驚き、大笑いし、感慨深かった。
この作品は「コンプラ」というものがなかった時代だからこそ描けたものである。今なら絶対にこんな作品は描けない!これは断言できる。
主人公・一条かれんのどの行動も、どのセリフも、コンプラ違反になる。
あまりにも過激で、無茶苦茶な言動なのだ。
同時に考えるのは、昔はなんて自由に発想し、表現できたことか、という感慨だ。今はなんて不自由な社会なのかということだ。
今はあらかじめ脳に縛りをかけられて発想している。自由な発想ではない。
いったいどっちの方が創作活動にとって良いのだろう?
コンプラがなければ、ブスだの醜女だのデブだの短足だの、人を傷つける言葉を使いたい放題だ。
だが今の時代は誰も傷つけない言葉しか使えない。人権意識が高まったせいだ。
クリント・イーストウッドも、ハリウッドのコンプラ違反の縛りに辟易して、トランプ支持の理由に共感したことがある。
民主党時代の人権意識の高まりや、コンプラ違反の監視状況に、辟易していたのだろう。
自由な表現がいいか、コンプラ意識の高まりがいいか、非常に難しい選択でもある。
日本でも「男系固執派」は「男尊女卑」であるし、「DV魔」でもあると、わしは認識している。
息を吸うように男系固執・男尊女卑を唱える輩を見ていると、実に野蛮だという感覚が育ってしまった。
時代との葛藤はクリエイターにとって、宿命のようなものだろう。