小林よしのり

「最終フェイス」に見るコンプラとの葛藤。

小林よしのり

2026年3月15日 08:21

昨日、配信された「漫画ブック」の『最終フェイス』を読んだが、今回もつくづく驚き、大笑いし、感慨深かった。

この作品は「コンプラ」というものがなかった時代だからこそ描けたものである。今なら絶対にこんな作品は描けない!これは断言できる。

主人公・一条かれんのどの行動も、どのセリフも、コンプラ違反になる。

あまりにも過激で、無茶苦茶な言動なのだ。

同時に考えるのは、昔はなんて自由に発想し、表現できたことか、という感慨だ。今はなんて不自由な社会なのかということだ。

今はあらかじめ脳に縛りをかけられて発想している。自由な発想ではない。

いったいどっちの方が創作活動にとって良いのだろう?

コンプラがなければ、ブスだの醜女だのデブだの短足だの、人を傷つける言葉を使いたい放題だ。

だが今の時代は誰も傷つけない言葉しか使えない。人権意識が高まったせいだ。

クリント・イーストウッドも、ハリウッドのコンプラ違反の縛りに辟易して、トランプ支持の理由に共感したことがある。

民主党時代の人権意識の高まりや、コンプラ違反の監視状況に、辟易していたのだろう。

自由な表現がいいか、コンプラ意識の高まりがいいか、非常に難しい選択でもある。

日本でも「男系固執派」は「男尊女卑」であるし、「DV魔」でもあると、わしは認識している。

息を吸うように男系固執・男尊女卑を唱える輩を見ていると、実に野蛮だという感覚が育ってしまった。

時代との葛藤はクリエイターにとって、宿命のようなものだろう。