小林よしのり

残酷な天使のテーゼ

小林よしのり

日々の出来事
2020年 2月 13日

1人の人格の中には、「公人性」と「私人性」、そして
「集団性」と「個人性」がある。
小林よしのりの「私人性」をアンチがいかに貶めようと
しても意味がない。

わしは作品の中で何度も何度も公言してきたが、聖人君子
ではないし、清廉潔白でもないし、女にだらしなく、どう
しようもない男である。
これは堂々と言える真実である。

そんなことは妻や秘書は百も承知で、それでも支えている
のは、わしの「公人性」を信じているからである。
才能があるから仕方がない、天下国家の人だから仕方がない、
あとは目を瞑る、「私人性」に関しては諦めた、というのが
わしを今まで支えてくれた女性たちの姿勢である。

わしの「私人性」に何かを期待する女性は、寄って来ない
方がいい。
わしを本当に理解してくれる女性は、わしの才能しか見て
いない。
男だってそうである。わしの才能しか見ていない。

わし自身、自分の才能がこんなに長続きするとは思わな
かったが、こんなに長く描いていると、男女を問わず、
信奉者は出て来るもので、それも自然なことだ。
だが彼ら彼女らは、わしの才能が枯れたら、あっという
間にそっぽを向く。残酷な天使のテーゼである。

わしの才能が失われたとき、誰がわしのそばにいるの
だろうか?誰が優しくしてくれるのだろうか?
例えそういう人がいたとしても、才能を失えばわしは
死ぬしかないだろう。