笹幸恵

百貨店の員数主義?

笹幸恵

日々の出来事
2020年 5月 30日
もうすぐ母の誕生日。
何かプレゼントしようと思って最寄りの百貨店に行った。
結構な人出で、どの店もそれなりに賑わっている。
私が商品を見ていた雑貨屋さんも、
次から次へと人が入ってきた。
小池都知事がいたら「密です!」と言われ
解散させられるところだ。

百貨店の地下にある高級スーパーにも足を運んだ。
夕食の買い出し。
めったに行かないところだけど、
いつものスーパーまで移動するのが面倒くさい。

ところがここも結構な「密」。
それも、人がいっぱいだからというより、
レジでの手の込んだ感染防止対策のためだ。
ソーシャルディスタンスを保った行列ラインを
作っているのだが、それが売り場までどわ~っと延びており、
買い物客はその行列の合間を縫って商品の棚を見て回る。
精算を待つ人と、商品を選ぶ人。
よけい密集しているような気がするんですけど・・・。

何かに対処するとき、とかく日本人はそれが合理的かどうかより、
「対処してますよ」という姿勢を見せることを重視する。
形さえ整っていれば、とりあえずOKなのだ。
マスクやフェイスシールド、ビニールカーテン、
そしてソーシャルディスタンスの長い行列が
どれほどの効果があるか(そもそも必要かどうか)。
そこに疑問を持つ人はほとんどいない。

これって日本軍の精神構造と同じだなあと思う。
日本軍は「員数主義」と言われている。
とにかく官品の数がそろっていることが大事。
万が一、支給された官品を紛失してしまったら、
他の班からギンバイ(かっぱらうの意)してでも
数をそろえなければならない。

戦うために必要な兵装の数々、
一つでも欠けているなら、探し出すか、
なければ補充するしかない。
それが合理的な判断である。
しかし官品をなくしたなんて言ったら、
他班から後ろ指さされる、ダメな班だと思われる、
上官から叱られる・・・。

そんなわけで、ギンバイが当たり前となる。
ギンバイしてでも員数さえ整っていれば、とりあえずOKなのだ。
「戦うために必要」という本質はどこかに忘れ去られ、
員数をそろえることに躍起になるという本末転倒ぶり。
こうして「表面的に整っていること」が目的化する
(これは日本軍の戦い方にもよく表れている)。

店員さんはフェイスシールドにマスクに手袋。
客はながーい行列。
それで店内が「密」になっているというのに、
そこには誰もつっこまない。
表面的に整っていれば、OKだからね。
不思議なもんだね。
「密です」ではなく、その対策に
「無駄です」と言いたい。