2020.07.15(水)
今日の羽鳥コロナショーは意義深かった
今日の「羽鳥コロナショー」は非常に意義深い議論だった。
わしから見れば幼稚だけど、「感染者の強制連行が出来る法律を作れ」という玉川徹の主張。
これに関してわしは、基本的人権の方が大事ということを主張して来た。
「公共の福祉」を掲げてもダメだ。
コロナウィルスは、インフルエンザより弱毒性だから、「集団免疫こそが公共の福祉」なのは間違いない。
ここは本来、倉持弁護士にもっと精緻な憲法論として組み立てて欲しいものだ。
間違った公共性の犠牲になったのがハンセン病患者だ。
今回の議論だけで、「SPA!」『ゴー宣』10回分くらい描けるほどのテーマになる。
わしは描くぞ!
さらに最後に玉川が言った「経済より命が大事」、この幼稚な理論が、結局、現在の日本人の集団ヒステリーを支えている。
これを突破するには『コロナ論』しかない。
まず『コロナ論』の発売で、どのくらいの日本人が小学生から中学生に進級できるかなのだ。
発売が遅いのがギリギリするが、仕方がない。
羽鳥コロナショーも、日本人の精神年齢が異常に低い、とてつもなく劣化しているという事をわしに教えてくれるので、その意味では意義がある。