高森明勅

道場の真価が問われた第12回

高森明勅

2011年 4月 14日

大震災直後の今回は、まさに道場の真価が問われることになるだろう、というのが、事前の予感、というより確信だった。

我々がどこまで本気で、真剣なのか。

この1年間に議論の質をどこまで高めることが出来たのか。

師範・門弟・道場生の間にどれだけ討議への姿勢や、相互の信頼感を共有出来ているのか、等。

敗戦以来の難局にあたり、道場がこの1年間で築き上げて来たものが、トータルに試されるだろう、と。

そう考えていた矢先、小林さんから「毎回ボランティアで、会場の設営から受付その他、運営全般に当たってくれている設営隊の募集が、瞬く間に定員一杯になった」と伺った。

どうやら門弟の皆さんの意欲は半端ではないらしい。

これは充実した道場が実施出来そうだ、と感じた。

ところが当日、道場の開始早々、スピーカーの故障に見舞われた。

その上、師範が並ぶ壇も低い。

椅子に腰をかけると、後方の参加者から師範の顔が見えない。

声が聞こえにくく、顔も見えないのでは、参加者の注意力が続かないだろう。

そもそも参加の皆さんは、震災の影響で直接、被害にあってない人も、漠然とした不安を抱えて会場に来られているはず。

不安とまでいかなくても、少なくとも普段とは違った心理状態なのは、当然だろう。

なのにこれでは、少しまずいかな。

と一瞬、思った。

だが、冒頭の小林さんの力の込もった挨拶を聞き、それに食い入るような眼差しを注ぐ会場の皆さんの真剣な表情を見て、そんな懸念はたちまち吹き飛んでしまった。

結果として、同じような感想を持たれた方も多いのではないかと思うが、これまでの道場の中で3時間の討議が、最も短く感じられた。

その中で、東北復興の先にある、或はそれと併せて取り組まれるべき、日本そのものの再建がどのような方向に向かうべきか、その基本線は、概ね打ち出すことが出来たのではないか。

終了後、小林さんも「今回は良かった」とおっしゃった。

小林さんが殆ど手放しで評価されたのは、私が記憶する限り、これまでなかったこと。

私を含め、他の師範が「いい回だった」と受けとめ、アンケートに「これまでで最高」などと書いていても、小林さんにとっては、意に満たないところが必ずあり、終了後そのことを率直に表明されるのだ。

しかるに今回は満足げで、本当に嬉しそうだった。

設営隊の方々の目に見えない努力をはじめ、師範の議論、第2部冒頭での4名の方たちの発言、参加者の熱意の全てが、この道場が1年間かけて積み上げて来たものが何であったかを、証明して見せた。

そんな、「非常時」に押し潰されず、むしろそれを跳ね返そうとした道場だった。

この度、3年間という期限も、小林さんによって明確に設定された。

日本の真の復興を目指して、更に努めて参りたい。