高森明勅

惜しい少年を喪った

高森明勅

2013年 2月 17日
14日、大阪府大東市で市内に住む小5の男子児童が
電車に飛び込み、亡くなった。

遺書には
「どうか一つのちいさな命とひきかえに(母校の)
統廃合を中止してください」という趣旨のことが、
書いてあったという。

即ち、自分の一命に代えて、母校の廃校を阻止したかったようだ。

何と健気な少年か。

彼は、同級生25人の意見聴取も行っていた。

結果は、全員が廃校に反対。

廃校阻止のためなら何でもする2人、何かするが23人だった。

小5の児童が、ここまでの手順を踏んでいることに驚く。

自分のかけがえのない命を
「一つのちいさな命」と客観視している点からも、
かなり知性的な少年だったに違いない。

彼にとって、母校を守ることは、
自分の切なる願いだけでなく、
彼自身による同級生への意見聴取に照らしても、
まさに公論であり、正義だったのだろう。

彼は幸か不幸か、知性ばかりでなく、
勇気をも兼ね備えていた。

普通、知性溢れる人物は勇気を欠き、
勇気溢れる人物は知性を欠く場合が、残念ながら少なくない。

だがこの少年は、自ら信じる正義のためなら
「何でもする」勇気と覚悟を、持っていたのだ。

電車に飛び込む3分前、彼は家族にメールを送っている。

それには、「家族み→んな大・大・だあい好き」とあったそうだ。

子を持つ親としては、涙なくして聞けない話だ。

廃校について、彼のご両親とお祖母さまは、
異口同音に「死によって、決定が変更されるようなことが
あってはならない」旨の発言をされているという。

それはそうだろう。

これでもし、既定の方針がぐらつくようなことがあれば、
今後さらに、子供たちの自殺を招き寄せないとも限らない。

だが、頭で分かっていても、
我が子、我が孫が亡くなった直後に、
こんな正論を当然のように口に出来るかと言えば、
至難だろう。

実に見事と言う他ない。

この親たちにして、この子あり。

惜しい少年を喪った。