高森明勅

国連「常任理事国」入りの盲点

高森明勅

2014年 9月 28日

安倍首相は国連総会の一般討論演説で、
来年の国連創設70周年を控え、安全保障理事会の
常任理事国入りへの意欲をアピールした。

わが国として当然の主張と受け止めた人も多いかも知れない。

だが、もしそれが本気なら、相応の覚悟が求められる。

国連安保理の常任理事国を目指すのは、
世界中の国際紛争の「
当事者」として名乗りをあげるに等しい。

その場合、言うまでもなく、
しかるべき「軍事的」
当事者能力を備えていなければならない。

現に、現在の常任理事国5ヵ国
(アメリカ、イギリス、フランス、中国、
ロシア)は
全て核保有国ばかり。

日本も「普通」の常任理事国になるには当然、核武装が必要となろう。

更に、「限定的」集団的自衛権などではなく、
限定無しの集団的自衛権の行使は勿論、
集団安全保障にも加われる国内条件の整備が最低限の前提となる。

他国に集団安全保障への参加を求める立場だから、当たり前だ。

ところが、安倍首相はそれらについて、
これまで繰り返し憲法改正が不可欠と明言している。

ならば順序として、
常任理事国入りの前に憲法改正を実現しなければならない。

また、自衛隊もアメリカ軍などと共に、
世界各地の紛争に介入するようになるのだから、
戦死者が次々と出る事態についても、
予め国内のコンセンサスを形作っておく必要があろう。

もし、そうした覚悟を求めないまま常任理事国入りを進めるなら、
これほど国民を馬鹿にした話はない。

それからもう1つ。

国連(United Nations)は、
先の大戦の戦勝国=連合国(
United Nations)
による戦後世界統治のための仕組み。

だから、その存立の基盤は連合国史観=東京裁判史観だ。

国連憲章の「敵国」条項
(70年近く経った今も削除されていない!)

その事実を端的に示す。

日本が常任理事国入りする際、その歴史観との対決は避けられない。

東京裁判史観に最終的かつ全面的に屈服するか、
それとも戦争以外の手段でその歴史観を覆すことができるか、
或いはわが国にだけ独自の歴史観を認めさせるか。

かなり困難な局面に立たされることは、容易く予想できる。

常任理事国入りは、厳しい試練に立ち向かう覚悟もなく、
軽々しく語り得るテーマではない。