笹幸恵

引揚桟橋

笹幸恵

2015年 7月 7日

先週の話になりますが、

舞鶴に仕事で行ってきました。

引揚記念館は半年前に行った(現在はリニューアル中)

ので、今回は近くにある引揚桟橋へ。

そう、あの「岸壁の母」で知られる桟橋です。

 

復元された桟橋は、かなりこじんまりしています。

当時は桟橋がずっと延びていたようです。

湾内に杭らしきものがたくさんあるのは、

その名残ではないかと思うのですが、

正確なところはわかりません。

 

私の祖父は、ソ連の抑留から帰ってきた一人でした。

私がハタチくらいのときに亡くなりました。

滅多に会わず、会っても山形弁バリバリで、

ほとんど意思の疎通ができませんでした。

また、かなりファンキーなじいちゃんで、

バイクをかっ飛ばしてドブに突っ込んだり、

入院したらしたで、「コーラが飲みたい」という理由で

病院を脱走したりしていました。

祖母亡き後、一時期我が家で生活を共にして、

そのとき戦争の話を少しだけ聞きました。

方言から何とか聞き取れたことは、

満洲にいたこと、部隊とはぐれて木の上で

生活していたこと(よもや脱走じゃないだろうね)、

他の部隊に救い出してもらったこと・・・。

翌日、もっと詳しく聞いてみようと思ったら、

家出していました。

(最終的には、叔母の家で生活していました)

 

その祖父も、もしかしたら内地の土を踏んだのは

ここ舞鶴だったかもしれません。