高森明勅

携帯絶命寸前

高森明勅

2015年 5月 25日

近頃、どうも携帯電話の調子が良くない。

目一杯充電しても、さほど使っていないのに、電源が落ちる。

電源ボタンを長押ししても、復活するまでやたら時間がかかる。

何とか復活してホッと一安心していると、
ほどなくまた電源切れの状態に。

一体、どうしたのか。

買ってからまだ10年も使っていないのに。

この種の問題は、困った時の息子頼み。

長男に事情を説明すると、「寿命かも」と素っ気ない返事。

バッテリーも替えないで長持ちした方だと思う」と。

もう“死んだ”ような話。

今どきの(?)携帯って、僅か10年も持たないのか。

私は何でも長く使う方だ。

30年程前、新婚旅行の時にはいたズボンも、
少しきつくなったものの、今も愛用している
肥満のチェックにも役立つ)。

携帯も紛失しない限り、同じのを一生使うつもりだった。

だが、パンクすると一緒に暮らす家内以外、子供たちを含め、
殆ど誰とも連絡が取れなくなる。

固定電話の番号を知っているのはごく少数のみと、
改めて気づいた(もっとも、携帯番号やメールアドレスを
お互いに知っている相手も、
さして多くないが)。

いっぱしの“時代遅れ”を気取っていたのに、知らない間に、
携帯電話という
文明の利器にすっかり依存していた自分に、ゲンナリ。

さあ、どうする?

携帯電話を捨てるか、それとも新しく買い換えて、
飽きもせずに携帯“依存”を続けるか?

そもそも携帯電話自体、もはや「前時代の遺物」
しているとの声もあるが。

ちなみに以前、よしりん企画の時浦さんに
「よく“ガラ携”
という言葉を聞くんですが、どんな携帯電話ですか?
 私はこんな普通の携帯電話しか持っていないんですが」
とお見せした。

すると、
「それです。それこそ紛れもなくガラパゴス携帯、ガラ携です!」
とのお答えだった。