小林よしのり

マーチン・スコセッシ「沈黙―サイレンス」が凄い

小林よしのり

芸能・文化
2017年 1月 28日


今日は一日、外に出ていたから、ブログ書く時間もなかった。

明日は「FLASH」に集中してコンテを完成させる。

 

マーティン・スコセッシの『沈黙―サイレンス―』という

映画がものすごく面白かった。

3時間弱もの時間を、一回も緊張感を途切れさせず、

食い入るように没入して見てしまった。

スコセッシの熟練した力量に感心した。

 

これをアカデミー賞の審査委員が冗長だと感じたというのが

全然分からない。よっぽど馬鹿な連中なのだろう。

 

「信仰」とは何なのかを、とことん突き詰めていくのだが、

「信仰心」と「踏み絵」と「拷問」と「棄教」、この素材が

これほど面白くなるとは。

 

窪塚洋介が「キチジロー」を実に上手く演じていて、

これこそが日本人の一神教の受容スタイルなのだろうと

納得させる、弱くて、滑稽で、哀れで、可笑しい人格なのだ。

 

そして、イッセー尾形の演技が凄すぎる。

知的で老獪な人格を滲み出させる演技が驚異的だ。

日本人の役者の存在感が際立ちすぎるから、アカデミー賞

を受賞できなかったのかもしれない。

 

しかし日本は一神教が根づかない泥沼の風土だというのが

よく分かるし、さぞや宣教師も虚しかったことだろう。

 

映画を見てあらためて思ったのだが、一神教を理解できない

日本人のコンプレックスが、天皇制を「男系ドグマ」に

嵌め込んだ新宗教にでっち上げる者たちを産んだのかも

しれない。

 

男系男子しか天皇にさせないという一派は、実は一神教に

憧れているのだ。

日本とは何かが分かってないのである。