高森明勅

なぜ戦争は無くならないか

高森明勅

2017年 8月 11日

第2次世界大戦後、国際法上、武力行使は違法化され、
あらゆる国の交戦権も否認された。

なのに「戦争」は無くなっていない。

何故か。

理由は簡単。

国家間の利害対立などの解決手段として
「武力」の必要性、
有効性が失われていないからだ。

本来は、そうした問題は集団安全保障(国連軍の出動)によって
解決するはずだった。

しかし、国連安保理の常任理事国間の対立で、
その構想が頓挫(
これまでで唯一の国連軍の出動は、朝鮮戦争の時。
当時、
常任理事国だったソ連大使が帰国している間に安保理で決議。
有効性に疑念も)。

それをカバーする為に、例外的(!)に武力行使が認められる
「自衛権」の行使という形で、“普通に”
武力行使が行われた。

特に「集団的」自衛権の行使という名目で、
ガンガン他国に軍隊が入って行くことに
これは交戦権の行使ではなく自衛権!の行使)。

例えば、ハンガリーの国民が民主化を求めた
「ハンガリー動乱」の時に、
ソ連が軍隊を投入して鎮圧したのは、
ソ連の集団的自衛権の行使だった事になっている。

ベトナム戦争もアメリカなどの集団的自衛権の行使。

ソ連軍のアフガニスタン侵攻も同じ。

個別的自衛権だけなら武力行使の範囲は
かなり狭まる。

ところが集団的自衛権となると、どうか。

事実上、際限なし。

武力行使の違法化が殆ど無意味になるほど。

だから、多くの人々は「違法化」の
事実自体を知らないだろう。

国連憲章で初めて登場した集団的「自衛権」という考え方。

これは本当に“自衛”権なのか。

何しろ一般に、武力行使の理由とされる他国が、
自国と“密接に関わりがある”
必要は必ずしもないのだから。

武力行使全般が原則「違法」とされているにも拘らず、
殆どフリーパスで武力行使ができるマジックワード。

現在の国際法を巡る現実は、虚構と欺瞞に満ちている。