高森明勅

改革という災厄

高森明勅

2017年 7月 19日

改革というマジックワードがある。

構造改革、規制改革、働き方改革等々。

それらは全て、十分な根拠も示されないまま、善とされる。

逆にその障害となる存在は「岩盤」規制であり、
抵抗」勢力と“印象操作”されてしまう。

しかし、改革なるものの実態は、既に“時代遅れ”となった
1時代前のアメリカ流新自由主義であり、
市場原理主義であり、
グローバリズムに他ならない。

それらを推進すればするほど、中間層は没落し、
格差は拡大し、
社会は劣化する。

そうすると、どうなるか。

政治や経済について情報を集め、理性的に分析する余力を持たず、
ひたすら現状に不満を抱えた人々が増大する。

彼らは不平不満を鬱積させ、
現状を忍耐強く改善する
複雑な手順について、
丁寧に耳を傾ける知的キャパシティを、
しばしば失っている。

だから、「改革によって現状を打破する!」

無責任に訴える指導者を盲目的に支持しがちだ。

その結果、事態はより悪化し、不満を抱えた人々が更に増大し…
という悪循環が繰り返される。

それにどこかでピリオドを打つ必要があるのではないか。