小林よしのり

『新・堕落論』は折り返し地点である

小林よしのり

日々の出来事
2018年 2月 9日


わしはもう悟ってしまったのだが、誰も文学なんか読んで

ないし、教養が断絶してしまっている。

 

それどころか「マトリックス」程度の映画も見てないし、

あの映画の実存の突き詰め方を分かっている者もほとんど

いない。

 

文学にせよ、哲学にせよ、映画にせよ、漫画にせよ、

古典となる価値のある作品が継承されなくなっているから、

教養の断絶である。

 

感情の劣化も教養の断絶から起こっているし、人文学部は

要らないという流れも、それを平然と言える大人が出てきた

からだ。

 

人間はこの先、ますます脊髄反射だけで生きるようになるの

だろうし、人間の進化は終わっているのだ。

トカトントンは連打されて止まない。

 

『ゴー宣』シリーズも『新・堕落論』が限界であって、

今後はとことん易しく描いていかなければならない。

折り返し地点を今、回ったところだ。

 

その意味で『よしりん辻説法』は良いヒントになった。

もっと理詰めを破壊して、感覚だけで描いていくように

工夫しなければならない。

 

その意味では「小説幻冬」で始める『おぼっちゃまくん』は

良き訓練になる。

 

「立憲的改憲」は国民のための最期の戦いになるだろうし、

これが失敗したら、その先は自分のための快楽のみで

生きるしかない。

トカトントンはわしのBGMになるだろう。