泉美木蘭

映画『人間の値打ち』

泉美木蘭

2016年 10月 22日

『人間の値打ち』というイタリア映画がおもしろかった。
丘の上の大豪邸に暮らすヘッジファンド経営の大富豪一家と、
なんとか中流層に踏みとどまっている街の不動産屋一家、
そして貧民街で犯罪に手を染めながら暮らす人々。
イタリアの格差社会に存在する3階層の人間たちの生活模様や価値観、
行動パターンが、あるひき逃げ事件を交差点として絶妙に入り混じってゆき、
「人は、富や罪を目の前にしたとき、どんな行動をとってしまうのか?」
という視点で、極めて人間的というか、現実的に、うまく描かれている。
脚本もうまいし、映像もよかったし、役者の演技もうまかった。

優雅そうな大富豪が、大富豪であることを維持する、その冷酷な裏側。
金だけを与えられ、ただの飾り物とされ、愛がなく、心が砂漠化して、
情緒不安定な
異常行動に走っている大富豪夫人。
大富豪の息子である彼氏に嫌気がさして、偶然出会った貧困層の少年の
繊細さを愛するようになり、恋愛関係になる中流層の娘。
娘が大富豪の息子に気に入られていることを利用して、自身を取り繕い、
儲け話に入れてもらおうとするセコい父親。
レッテルを貼られることを受け入れるしか生きる術のない、貧困層の孤児
の少年。

映画を見ながら、
「このなかで、事件を通して一番値打ちある行動をとっているのは誰か?」
・・・と考えてみるのだが、この作品はあくまでも“人間的な”姿を描くことに
終始しているので、勧善懲悪で結論を出すことはできない。
全員が全員、本人も気が付かないようなところで、善悪や愛憎が複雑に
絡まりあっており、自信を持って「この人!」と断言することが難しい。

そして、このつじつまの合わない人間の姿というものに加えて、
物語のラストに、ある「人間の値打ち」を示す数字がテロップで示される。
この数字を見て、本編以上に釈然としない思いがこみ上げる。
けれども、この数字が
一番リアルで、「うわー・・・でもそんなもんだよな・・・」
と思わされるという仕掛けだ。

ああ、平凡が一番だなあ。
でも、平凡を維持するのも、実は至難の業、なのかもしれない。