高森明勅

男系主義という「からごころ(漢意)」

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 6月 10日

江戸時代の国学者、本居宣長。

日本古来の考え方を「やまとごころ(大和心)」、
シナ伝来の考え方を「からごころ(漢意)」と呼んで、
両者の対立を想定した。
“からごころ”を去って、“やまとごころ”に帰れ、と。

これを「血統」観に当てはめるとどうなるか。

男系主義が“からごころ”で、双系(双方)主義が“やまとごころ”。

そう整理できるだろう。

これは様々な観点から指摘し得る。
ここでは差し当たり、「親族名称」を巡る興味深い事実から述べてみよう。
今も、誰もが普通に使っている親族名称について、
大和言葉と漢字表記で“歴史的に”明確な対立がある。

大和言葉では、例えば両親の兄弟・姉妹に対して、「父方」と「母方」の区別をしない。
どちらもオジ・オバ。
極めてシンプルだ。
一方、漢字表記ではどうか。
両者を“厳密かつ複雑”に峻別(!)する。
父方のオジは伯父(父の兄)・叔父(父の弟)、
母方のオジは舅(母の兄弟)。
オバも父方なら姑(父の姉妹)、母方なら姨(母の姉妹)。
大和言葉の場合に比べて、呆れるほど細かく厳格に区別される。
このような違いは古代にまで遡るし、オジ・オバだけに限らない。

「漢字が導入された古代以来、常に日本の親族名称は、
双方(双系)的な口語(=大和言葉)名称法と父系(男系)的な文語
(=漢字表記)名称法との二重構造をとり続けてきた」
(明石一紀『日本古代の親族構造』)

親族名称という、極めて身近ながら(あるいは身近ゆえに)“牢固たる”文化現象に、
古代以来の“やまとごころ”と“からごころ”の「二重構造」が、ストレートに反映されているのだ。

そもそも、日本が根っからの男系社会だったら、
「同姓(男系で同一の系統)不婚」の鉄則が貫徹するから、
歴史上、普通に行われて来た皇族同士の結婚なんて、絶対に許されるはずがない。
勿論、だからと言って、男系主義の歴史的な意義を全否定し、
排外主義的かつ原理主義的に“からごころ”を糾弾するつもりはない。
ただ、シナ男系主義の影響下に生まれたものを、
あたかも我が国固有の「伝統」のように錯覚して、
皇室の存続そのものを危うくしてまで「死守」しようとする考え方には、首を傾げる。