高森明勅

昭和時代に今上陛下が「国事行為」の臨時代行に当たられていた

高森明勅

皇室・皇統問題
2023年 7月 10日

7月8日、高森稽古照今塾でのハイブリッド講義が終わって、
少数で行う懇親会の会場への移動途中。
ベテランで勉強熱心な塾生の1人から面白い質問を受けた。

「昭和天皇のご晩年、ご闘病中だった昭和62年10月3日からしばらく、
今上陛下(当時は浩宮〔ひろのみや〕と呼ばれていた)が
国事行為の臨時代行に当たられた時期がありました。
それまでは上皇陛下(当時は皇太子)が臨時代行だったのですが、
アメリカにお出ましになられる為に、臨時代行の更に代行が
必要になった場面だったと思います。
これは、上皇陛下が国事行為を“再委任”された形だったのですか?
それとも、昭和天皇ご本人が改めて今上陛下に委任されたのでしょうか? 
どのような実態だったのでしょうか?」と。
面白い着眼だ。

少しややこしいが、天皇の国事行為を委任されること(憲法第4条第2項)
自体も「国事行為」だ。ならば、国事行為の“全般的”な委任を受けられて
上皇陛下が臨時代行に当たられていた当時、ご自身に
「故障(この場合はアメリカへのご訪問)」が生じたのであれば、
“国事行為を別の皇族に再委任する”という国事行為も代行できるのか、
どうか。

国事行為の委任も国事行為に“含まれる”ので、
既に全般的な委任を受けておられる以上、一応問題はなさそうに思える。
しかし、もしそれが認められるならば、天皇ご本人から離れて
次々に別の皇族に委任されることも、理論上は可能になる。
だが、そのような再委任、再々委任…のような形で行われる
国事行為の場合、その権威、正統性が稀薄化する懸念はないのか。
或いは、「天皇」という地位それ自体の存在意義にも関わりかねない。
そういう問題意識なのだろう。

しかし、「国事の臨時代行に関する法律」を見ると、
国事行為の委任を受けた皇族(先の場合は上皇陛下)に
「故障が生じたとき」は、(内閣の助言と承認により)天皇が
「委任を解除する」というルールになっている(第3条)。

先の質問のケースも、『昭和天皇実録』第18巻に
次のような経緯が記されている。

「(昭和62年10月2日)翌3日より、皇太子(上皇陛下)が
同妃(上皇后陛下)を伴い米国を訪問につき…この日の閣議を経て、
皇太子への国事行為の委任を解除し、当分の間、徳仁(なるひと)
親王(天皇陛下)に委任して臨時に代行させることとされる。
午後2時35分、(皇居・宮殿)薔薇(ばら)の間において、
国事行為の委任を解除する旨の(昭和天皇の)勅書を
侍従長徳川義寛より皇太子に伝達させられる」

「(同3日)午前9時、国事行為の臨時代行を委任する旨の勅書を、
侍従長徳川義寛より徳仁親王に伝達させられる。
なお徳仁親王は、一昨日より第2回国民文化祭開会式に臨席等のため
熊本県に滞在中につき、勅書の伝達は熊本市のニュースカイホテル
において行われる」

以下、一々引用しないが、9日に皇居・宮殿「薔薇の間」において
「徳仁親王」に国事行為の委任を解除する勅書が伝達され、
10日には帰国された「皇太子」に再び国事行為の臨時代行を
委任する勅書が伝達されていた。

このように、国事行為の臨時代行に当たられていた皇族に
やむを得ない支障が生じた時は、その委任を解除して、
改めて天皇ご本人から次の皇族に委任されるという手続きが、
丁寧に取られる。

天皇の国事行為の国家的な重要性に照らして、適切妥当な手順だろう。

それにしても、このようないささか立ち入った質問が、
居酒屋に向かっている最中にさりげなく出てくるあたり、
わが塾生の向学心に感心。

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