泉美木蘭

日本の天井は「ガラス」じゃなくて・・・

泉美木蘭

2025年 11月 1日

朝日新聞「交論」で、上野千鶴子が「女性首相」について語っていた。
上野の主張は、女は弱者、男は強者であり、
女が弱者のまま尊重される社会であってほしいというものだ。
これに深くうなずく女性が多いのかもしれないが、
私は、自分を「弱者」と言いたがる自己卑下なんてやめてほしいと思う。
「男のようになれ」なんてまったく思わないけど、
女としての誇りはないの? と苛立ってしまう。

  
さらに、そんな社会主義のような実現不可能そうな世界を夢見て
唱え続けたところで、なにを変えられるんだとも言いたくなる。
日本には、女の長老が、女の王が、女の天皇が、偉大な活躍をなして
国の形を作ってきたという歴史がせっかくあるのに。
日本の目下の現実に着目すれば、
 
日本の象徴であるはずの天皇に、「女性だからなれない」
という制度が残されている。
しかもそれは明治時代に作られたものでしかない。

そのために今、天皇陛下のお子様である愛子様が、
皇太子になれないといういびつな状態が発生している》
 
というフェミニズムとしてこれ以上ない格好の課題が
横たわっているじゃないか。

これを解決すれば、男尊女卑を崩壊させて、日本の女性の立場は
たちまち向上すると、簡単に予測がつく。

なのに、そこに目がいかないなんてもったいない。

上野は、フォークランド紛争に臨んだサッチャーについて、
「強さを追及した政治家」「男以上に男らしくふるまう傾向」という
切り口で否定的に語っていた。
英国ではサッチャー政権を歓迎したフェミニストはいなかったらしい。
へー、と思ったが、それってフェミニズムだけで語れる話なのかとも思う。

そもそも戦争において軍を指揮するのに女も男もあるのか?
高市首相在任中に、台湾進攻がはじまったら?
大前提として、
「戦争なんてコワ~イ、絶対ありえな~い」という幼稚な感覚しかなく、

「強さ」「弱さ」「男vs女」で語ってしまうのが問題だと思う。

日本のフェミニズムは、女性を「弱者」と規定している限り、
いつまでも進歩しないと思う。
さらに、属国根性に一切気づいていないところが、
フェミニズムに限らず、すべての議論・現象の限界点だとも思う。
「ガラスの天井」とはよく言われるけれど、
日本はガラスの上が、さらに鉛の天井に全体を覆われていて、

誰も、な~んにも、見えていないんじゃないかと思う。