小林よしのり ゴー宣道場

小林よしのり ゴー宣道場 「なでしこ vs 日本男児、どっちが強い?」

小林よしのり ゴー宣道場

ゲスト:
第16回
2011年8月7日 -
「なでしこ vs 日本男児、どっちが強い?」

開催場所: 大崎 人事労務会館

8月7日(日)午後1時 から『第16回 ゴー宣道場』が行なわれました

会場は品川区大崎にある「人事労務会館」 です

今回の道場3週間前に行なわれた、門弟による設営隊募集は、なんと・・・たったの2分 で定員に達してしまいました
またもや過去最速です!!

もはや、人気コンサートのチケット販売より、過酷な競争率です・・・

さすがにもう、この記録は破れないのではないでしょうか?

皆さん、毎回、意欲的に協力して下さって、ありがとうございます!

特に、真夏の炎天下の中で、駅から会場までの道順に立つ会場案内係や、警備を担当して下さっている骨法道場生の皆さんには、いくら感謝してもしきれません

今回の会場では、笹幸恵師範の『日本男児という生き方』(草思社)の販売を行いました

購入すると笹師範にサインをしてもらえる!ということで、多くの方が購入されていました

販売を担当していた草思社の編集者の方が、お二人とも若い男性だったのを見て、(男性として、笹師範とこの本を作るのも、色々と大変だっただろうなぁ・・・)と、私は一人勝手に思いを巡らせたのでした 

今回のテーマは、『なでしこ VS 日本男児、どっちが強い?』

今までのゴー宣道場とは、少し趣の違ったテーマで、国家や歴史の問題とは関わりがない、と誤解した方も多かったようです

中には、刺激的なタイトルに驚き、「男と女はお互い様。どっちが強い、というものではないのでは?」というような反応をされた方もいました。

しかし、「ゴー宣道場」が、社会や歴史と何の関わりもない抽象的な男女論をやるはずがないですし、「どっちが強いか?」に拘った理由も、ちゃんとあるのです

さて、今回もよしりん師範の挨拶で始まりました。

テーマを設定した理由、そして男女論が実は色々な要素を孕んだ問題であるということを説明。

会場を爆笑させたのは、よしりん企画のスタッフ・チーフピロイとポカQが『日本男児という生き方』を読んだ時の、正直過ぎる反応です

「お前なんか嫌いだ!
お前なんか嫌いだ!!
お前なんか嫌いだー!!!」

・・・何のことか知りたい方は、後日アップされる動画で確認して下さいね

議論に入る前に、笹師範が『日本男児という生き方』を執筆した理由や経緯、本を通して伝えたかったこと、そして笹師範の思う「日本男児像」 を端的に説明されました。

ここで出た「日本男児」のキーワードは「やせ我慢」 でした

私が面白いと思ったのは、笹師範の以前の好みの男性のタイプ!

意外や意外・・・ス○○○ンだったんですね・・・!!

「日本男児」と言っている今の笹師範からは想像がつかないどころか、まさか、好みの男性のタイプとして、あんな名前が出てくるなんて・・・。度肝を抜かれました

次に、切通師範が『日本男児という生き方』の感想を述べられました

切通師範は2度読まれたそうで、1度目に抱いた感想と2度目に抱いた感想が違っていて、時間を置いて2度読んだからこそ見えてきた事を紹介されました。

その話の流れで、死を覚悟していた「戦争のあった時代の男性」 と、死から遠ざけられている「戦後の男性」 という重要な視点が浮かび上がります。

戦争を前提にしないと、笹師範の思うような「日本男児」は蘇らないのでは?と。

ここで、そもそも 「日本男児」 とは、いつ頃から使われ始めた言葉だったのか?という話になります。そこでわかったのは「日本男児」も「大和撫子」も、近代になって、日本が帝国主義の時代に突入していく過程の中で、戦争をするのに必要な精神を育てるために再解釈され、作り上げられた概念であること

そうだとすると、戦争がない現在の日本においては、「日本男児」も「大和撫子」も生まれようがないというわけですよね?

・・・ということは、現在の男女論を考える上では、もはや「日本男児」や「大和撫子」というのはあり得なくて、単なる 「日本の男とは?」「日本の女とは?」 という話しか出来ないのでは?と私は思いました。

さて道場では、日本の男女観の歴史や理念といった話が続きます。

「太平の世」であった江戸時代でも、武士たちが「男」たりえたのはなぜか?という話の中で、よしりん師範がある疑念を提示します

日本兵のほとんどが、軍人でも武士階級の子孫でもなく、赤紙で召集された 「百姓」「商人」という一般の庶民であったこと。

それらの兵隊たちは、武士のように「死」を覚悟して志願したのではない。

日本兵や軍人を「日本男児」だと言う時に、前線でどんどん死んでいかなければならなかった、
ういう下級兵たちも同じように考えられるのか?と疑問を呈しました

それについて師範方から、日本人が持つ「秩序感覚」や「諦観」などいくつかの考え方が示されました。

しかし本当に、戦場に行った日本兵たちは、軍人から下級兵まで、武士的な感覚を持った「日本男児」だったのか、私の中ではまだ疑問が残ったままです

少し高尚な話が続いたので、ここで、現代のよりリアルな男女論に話を移すため、道場生に意見を発表してもらいました

戦争のない現代日本でも「死」を意識することはできるのではないかという話や、「やせ我慢」の話など色々な話題が出ました。

女性の社会進出が奨励される一方で、晩婚化・少子化問題が生じていることについて、女性が20代前半の若いうちに子供を産み育てれば、子供が成長し手が離れてからでも、十分に社会に出て働けるのでは?そういう社会を作れたら、という意見を仰った方がいました

私もそんな社会は理想的だと思うのですが、一方で最近は、専業主婦になりたいという若い女性が増えているのです。

そして、そうは思っても、不況のために共働きでなければ食べていけないという現実がある。

望む望まないに拘わらず、子供が小さいうちから、女性が働きに出なければならなくなっているのです

議論の中で、男性側が「結婚はキャリアを積んでから」と言って結婚を先延ばしにしている、という話が出ていましたが、それも自由な選択肢としてというよりは、自分が家族を養えるだろうか?という将来不安が、主な原因としてあるのではないでしょうか?

「社会において女性が強くなっている」と言いますが、経済状況の視点も忘れてはならないと思いました

衝撃的だったのは、「女性と旅行に行って、何もしないで帰って来られる」という男性が、思いの外多かったことです

そんな男性たちの勇気ある発言が相次ぎ、道場が活気づきました。

やはり草食系男子というのは増えているのでしょうか?

これはもう「日本男児」「大和撫子」という話ではなく、「男としての本能」が問われる問題ですね

第2部も、「女性と旅行に行ったら・・・」という話の続きから始まりました

なんと師範方も、これについては3対1に意見が分かれていて、それぞれ本音トークが繰り広げられました

道場生側からも様々な意見や経験談が披露されましたが、女性からの意見がほとんど出てこないのが不思議でした。

そんな中、参加されていた作家の泉美木蓮さんが、男性と旅行に行く女性の本音を堂々と述べて下さいました

最近の女性は経験値が高く、男性を吟味しているという話の流れの中で、よしりん師範が話していた、戦前・戦時中の「大和撫子」は、それこそ子供を産まなければ女として認めてもらえなかったという事実

戦争中の「産めよ増やせよ」という状況下では絶対に必要な価値観だったんですね。

よしりん先生が出した例や、「家」を守るため、戦死した夫の兄弟と結婚させられる、というようなことは、戦後のぬるま湯で育った私には正直無理だと感じてしまいます

昔のそんな大和撫子たちを思うと、「『大和撫子』になりたい」なんて、私は口が裂けても言えないと思いましたし、そう言えないということは、現代の男性たちに「日本男児」を求めることもできないな・・・と感じた次第です

堀辺師範が「近代社会というのは肉体的な死はなくなったが、社会的な死というものが厳然としてある」ということを指摘されました。

そして、「家」という制度や共同体がなくなったことで、個人として社会に放り出されていることの過酷さが浮かび上がってきました

昔は「家」と「家」の結婚という側面が強かったために、周りが相手を見つけてくれたりセッティングしてくれる環境があったから、内向的であったり不器用な男性でも結婚できたけれど、今は個人の力で相手を見つけ、惚れさせなければならない、という話がありました。

アンケートでも、「だから今の男は辛いんだ自分がもてないのは、それが原因だ」と書いている方もいて、よしりん先生も男性に優しいからフォローしていましたが、その考え方はちょっと甘えていませんか?

もちろん、昔のような、お見合いがあったり、共同体における周りのサポートがあったり、色町で女性の扱い方を教えてもらったり、といったことの必要性というのはわかります。

よくわかりますが、自分で相手を見つけ、傷ついたりしながら、色々手を尽して惚れさせるというのは人間、いや動物の基本的なあり方なのではないですか?

周りのお膳立てを期待するなんて、他力本願 ですよ。

じゃあ、昔の「夜這い」とか何だったんですか?

江戸時代は性に対して凄く開放的で、春画なんかスゴイのがあったりしますよね?

「日本男児」を言うのなら、それらのバイタリティはどこへ行ってしまったのでしょう?

現代の日本において、男性は社会的に色々な物を背負い、厳しい状況に置かれていること。

一方で女性は自由を謳歌し、とことん強くなり経験値も高く、男性を吟味しているからこそ、男性はますます女性に対して気後れしてしまっている。

だからこそ女性は男性に求めるばかりではなく、もっと優しくなれ!という意見はよくわかります。

そして、高森師範の「自由を断念することを教えられていない女性の不幸」というお話や、堀辺師範の「捨てて捨てて残ったものに、忠という観念が生まれる」
というお話、よしりん師範が紹介した、サルトルの「現代人は『自由』の刑に処せられている」というお話は、現代日本に生きる私たちには、とても重く響くものでした

私が世の男性方にエールを送るとしたら、最近の若い女性は、男性が思う程、男性に対して過度な期待や幻想は抱いていませんよということです

特別お金持ちでなくても真面目に働いてくれて、他愛ない話でも良いから自分や子供と会話をしてくれて、ある程度の清潔感があれば十分、そんな風に思っている女性はたくさんいます

だから、頑張って見つけて下さいね

今回の道場は、普段以上に笑いがたくさん起き、師範方それぞれのキャラクターが前面に出た回でした

「男女論」一つとっても、理念や歴史的背景、男女関係の変遷、現代における新しい男女観、果ては少子化問題まで、様々な話題が出てきました。

まだまだ掘り下げ足りない気もしたので、ぜひまた取り上げて欲しいなと思います

次回の道場のテーマは「グローバリズムは歴史の必然か?」

今回の道場でも、「規制」 を取っ払って、とことん 「自由」 になることの不幸という問題が出ました

次回テーマの「グローバリズム」 も、「規制」を壊し「自由」に、世界に向かって国を開いていくことです。

この「グローバリズム」は、本当に歴史の必然なのでしょうか?

本当に日本を幸せにするのでしょうか?

次回もまた、熱く議論しましょう!

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