ゴー宣道場で知った西部邁の「自衛隊が憲法に違反しているのではなく、憲法が自衛隊に違反しているのだ」という言葉が、とても印象に残っている。
みんな学校では、「日本国憲法とはこういう素晴らしいものです。この憲法に、みなさんの感覚を合わせることが、日本人としての常識ですよ」と言われて、“憲法というもの”を教え込まれてしまう。
だから、歴史のなかで醸成されてきて、現在の自分の中にも備わっているはずの「常識」からは乖離した感覚でしか、“憲法というもの”を見ることができなくなってしまう。
学校秀才は、習った通りの感覚をそのままふりかざす論者になってしまうし、そうでない人は、自分には馴染まない“憲法というもの”を漫然と眺めるしかなく、違憲状態が発生したところで、そこまで問題だとは感じられない。
天から与えられた人権、というような感覚もこの話に似ているのだと思う。
私は、「人権」を何より最上位のものに置く感覚に警戒心は抱くけど、そんなもの必要ないなんてことは、まったく思っていない。でも、教育によって、「人権」という言葉が“脳内入れ墨”のように彫り込まれていると、批判対象でしかなくなるんだろう。
「保守」を名乗るなら、そこが絶対的な杭になっていなければならないのに、ネトウヨは、杭が腐ってすっぽり抜けたまま、現状維持のための改憲を掲げて、自己満足に浸ろうと盛り上がっている。
杭を腐らせたのは、属国根性かな?
ネトウヨは、属国根性が極まって、常識の感覚が腐っているから、「属国であること」に問題を感じなくなり、トランプ大統領に熱狂してしまうのか?
「愛子天皇」を望む日本人の感覚が、実は歴史に裏打ちされた常識であり伝統なんだということが、よりクリアにはっきり意識できるようになった。
さあ次は3月、大阪で「オドレら」と「よしりんバンド」のエグい&エモい組み合わせ!
みんな集まってや~~!!