高森明勅

「平成」の元号は陛下の御聴許を得ていた

高森明勅

2013年 11月 27日

わが国の元号の起こりは「大化」。

以来、時代の変遷を超えて、元号は必ず天皇がお定めになって来た。

武家政権が登場しても、戦国の乱世が訪れても、
この点に変化はなかった。

ところが、先の大戦に敗れ、
占領下に国家全般の制度変更を余儀なくされた際、
元号の法的根拠が曖昧化された。

このままでは「大化」以来の元号が、
「昭和」を最後に失われてしまいかねない、
危うい局面だった。

そこで有志国民が立ち上がって、国会を動かし、
昭和54年に「元号法」を制定した。

だがこの法律では、元号は政令で定めることになった。

そうすると、元号は天皇の手を離れて、
もっぱら政府が定めることになる。

勿論、政令である以上、その公布は、天皇の国事行為だ
(憲法第7条)。

しかしそれだけでは、
元号の伝統をねじ曲げることになりかねない。

そんな懸念があった。

これに対し、昭和から平成へと元号が改まった時、
政府は予め陛下の「御聴許」
を頂いたと囁かれた。

それが果たして事実かどうか。

今回、改めて多くの人々が確認できる機会が、与えられた。

昭和から平成への御代表替わりの実務を取り仕切った
石原信雄元内
閣官房副長官が、
このことについて明確に証言された
のだ
(『週刊ポスト』12月6日号)。

それによると、臨時閣議で「平成」が正式に決定する前に、
当時の藤森昭一宮内庁長官が天皇陛下に「平成」の元号を
上奏している。

「正化」「修文」「平成」の3つの原案から、
「元号に関する懇談会」で8人のメンバーが「
平成」を選んだ。

石原氏はそのことを、軽い意味で「新元号が決まる」と
表現されている。

だが国家の公式な立場では、いまだ閣議を経てないので勿論、
正式な決定ではない。

その正式な決定の前に陛下に上奏している事実は、
決定的に重要だ。

ここで陛下の御聴許を得た上で、
閣議にかけられたと見ることが出来るからだ。

この手続きを踏むことで、元号は天皇がお定めになるという、
わが国古来の伝統は、今もギリギリ守られていると言える。

それは、わが国における究極の「公」の体現者という、
天皇の本質に照らしても、決してなおざりに出来ない点だ。