高森明勅

ドイツの戦争責任の取り方

高森明勅

2015年 6月 23日
法哲学者で東京大学大学院教授の井上達夫氏が近刊で、
ドイツの戦争責任の取り方に言及されている。

ドイツで、国防軍の第2次大戦での侵略責任を示す展示会をやったら、
世論の総攻撃を受けた。

ドイツ人の多くは、ナチスは酷いけど、国防軍は別と考えている、と。

「ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を、
日本よりずっと立派におこなった、という『神話』がある。
これが、いかに神話か、ということーー
このことはドイツの現代史研究者たちによって指摘されています。

ドイツは、自分たちの戦争責任というのを、
二重の意味で限定している。

まず、責任の主体は、ドイツ国民ではなく、ナチです。

ナチの犯罪だ、と。

ドイツ国民はむしろ、ナチの犠牲者だ、みたいなね。

そして、責任対象は、ドイツがやった侵略戦争の相手じゃなくて、
ユダヤ人です。

ユダヤ人に対しておこなった強制収容と集団虐殺、
それに限定されているんです。

…ドイツの一般的な侵略戦争責任、つまりチェコを侵略したとか、
第1次大戦敗戦で失った領土を奪回したとかについて、
勝者の裁きであるニュルンベルク裁判の受忍を超えて、
自発的に自己の戦争責任を認めてきたわけではない。

…ワイツゼッカー大統領の…有名な演説も同じ限界があります。

…しかも、ドイツ人自身が戦争で受けた被害や、
敗戦後占領地から帰国する途中で多くのドイツ人が殺されたとか、
そういったことも強調している」
と(『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは
嫌いにならないでください』)。

要するに、ナチスの「人道に対する罪」を進んで糾弾するけれど、
自分たちの戦争そのものについては、
ニュルンベルク裁判の受忍以上には「平和に対する罪」を認めない、
という態度だ。

戦後史における日本とドイツの“近隣諸国との関係”の在り方
を振り返る場合、「神話」は排さねばならない。

その上で、東西冷戦期に両国が置かれた地政学的なポジションや、
近隣の国々の政治体制や価値観、歴史的経緯などの異同を、
総合的かつ客観的に眺める必要があろう。