小林よしのり

「年月」が証明すること

小林よしのり

2015年 2月 15日


NHK朝ドラの「マッサン」が抜群に面白くなった。

あのぐずぐずした主人公のイラつきがなくなって、

やっと好感が持てる主人公になった。

職人魂で、良質なウイスキーを作ることだけにこだわっても、

なかなか商売に結び付かない、その苦悩。

作家としてもよくわかる葛藤だ。

 

良いものを作ってもなかなか売れない、その原因は「年月だ」

という考えは確かにあるのかもしれない。

マスコミや風評に影響された偏見で、小林よしのりの作品は

読まなかったけど、最近『戦争論』を読んでみて、こんなに

真っ当で、面白かったのかと感想を送ってくれる読者もいた。

 

言論に関しては、年月を経て評価が定まってくることもある。

アフガン・イラク戦争に関する態度だって、産経保守に巣食う

親米保守は、今やだんまりを決め込むしかなくなった。

イスラム国を非難しながら、イラク戦争には絶対触れない

という自己欺瞞を続けている。

 

だが、誰が正しかったかを、じっと見ている人はいるはずで、

言論なんか無責任でいいと思ってる馬鹿など、わしの読者に

ならなくていい。

 

年月を経たら、高森氏の「女系も含む直系」が皇統だという

意見の正しさも証明される。

だが絶対に今の男系固執派は謝らないだろう。

「公」のための意見や態度ではなくて、「私」の意地、「私」の

楽しみとしての運動のため、「私」の自称保守の村人という

ポジションで生きるため、すべては「私」のためなのだから。

 

「年月」が良品質を証明する。「年月」が正論を証明する。

その日をじっと待つしかない場合もあるのだろう。