高森明勅

右も左も…

高森明勅

2015年 11月 4日

日本共産党のポスターが2枚。

1枚には「憲法9条を壊すな!」。

もう1枚には「アメリカの言いなり、もうやめよう!」と。

???

共産党に限らず左翼・リベラルは、9条を守ることで、
日本がアメリカの軍事戦略に巻き込まれるのを避けられる、
と懸命に思い込もうとしている。

だが客観的に言って、それは逆。

わが国のアメリカへの軍事的な依存は、
9条の“縛り”
によって自主防衛が出来ない為に、
結果として固定化されているのだ。

今回の安保関連法の制定でも、その構図が露呈した。

個別的自衛権も満足に行使できないまま、
アメリカに見捨てられないように、集団的自衛権の「部分的」行使
とか。

だから9条を守れば、「アメリカの言いなり」になり続けるしかない。

それが嫌なら、9条を改正する以外ない。

保守は保守で、9条を改正しても、
アメリカに何処までも付いて行くつもり。

一体、何の為の憲法改正か。

憲法は元々、敗戦の結果、その敗戦状態を永続化させる為に、
アメリカによって押し付けられたもの。

本来は、戦勝国グラブの国連憲章、国連軍とリンクしてこそ、
まともに機能するはずだった。

だが、冷戦の浮上で国連が機能しなくなったので、
日米安保条約
でカバー。

その結果、憲法ー安保のセットで機能することに
ポツダム体制からサンフランシスコ体制へ)。

但し、根底のイデオロギーは戦勝国史観(東京裁判史観)
一貫している。

この東京裁判史観に立脚した「憲法ー安保」体制が続く限り、
被占領の延長としての“戦後”は終わらない。

村山ー安倍談話は勿論、東京裁判史観継承の“誓約書”。

憲法を守りたいなら、安保も一緒。

憲法を改正するなら当然、日米安保条約(および地位協定)も
見直す必要がある。

そういう当たり前の議論がなぜ出来ない?

やはり、民主主義が国会の中にも外にも“ない”からか。