高森明勅

勅使の中断はない

高森明勅

2015年 9月 25日

国際法学者で東京大学名誉教授の大沼保昭氏の
『「歴史認識」
とは何か』(中公新書)。

リベラル系としては極力、フェアであろうと努めた
良心的な著作だろう。

私とは思想的、政治的なスタンスが違っても、
誠実な姿勢に共感できる。

比較的良質な市民運動家の内面を覗かせる箇所もあって、
興味深い。

但し、慎重に編集された本でも、誤った記述が混じるのは
やむを得ない。

私が気づいたのは、例えば次の一文。

天皇も1978年までは勅使による代拝をおこなっていたのですが
『A級戦犯』合祀後の79年から取りやめています」(
87ページ)。

ここでの「天皇」とは勿論、昭和天皇。

勅使ご差遣の対象は、これも文脈上明らかなように、靖国神社。

まず、勅使を差派される場合は「代拝」ではなく、
奉幣(
ほうべい。陛下の思し召しにより、ご幣物を献じる)。

次に、昭和53年のいわゆる「A級戦犯」合祀によって、
勅使のご差遣が「取りやめ」られたという事実はない。

現に、今も春秋の例大祭には必ず勅使のご参向を仰いでいる。

ケアレスミスは誰しも避け難い。

しかし、どうしてこのような重大な誤認が生まれたのか。

その経緯に関心が向く。