小林よしのり

倉持氏の「リベラル的改憲論」について

小林よしのり

日々の出来事
2017年 10月 9日


昨日は睡眠不足で疲れが溜まりすぎていた。

今まで選挙で特定の個人に肩入れしたことなんかなかった

ので、政局の動きも含め、ストレスが溜まる。

 

「ゴー宣道場」の倉持麟太郎氏は「リベラル的改憲論」の

大風呂敷を広げて、少なくともこのくらいの条文を網羅

しなければ改憲にならないということを説明してくれた。

 

わしはひたすら参加者が理解できるかどうかが気になって

いたが、例え司法試験に通った弁護士でも、憲法について

ここまで分析している者はいないだろうから、わしも含め

素人が理解できなくても仕方がない。

 

それでもなお、倉持氏の改憲案が、従来、保守論壇で語ら

れてきたGHQ憲法へのルサンチマンから出発しているの

ではないということくらい、宇都くんの場外乱闘の報告

を聞くと、気づいた人は少なくないようだ。

 

明治の初期に、日本が国民国家を採用し、立憲主義を採用

した時点では、憲法の立法事実はリベラル的価値にあると

伊藤博文らも知っていただろう。

だがそれでも、天皇制との接合を考えざるをえなかった。

 

わしはグローバルな「個人」というのを信じてなくて、

もしそのようなあらゆる属性を削除した「個人」を根拠に

憲法が作れるなら、世界統一憲法でいいということになる。

 

世界統一憲法は無理である。

ナショナリズムが内包された個人(=公民)という基準

から憲法を作ると強調した方が、誤解を招かなくていいの

ではないか?

 

もちろん倉持麟太郎氏が「リベラル的改憲案」を披露した

ことは画期的なことであるし、現在の護憲派は立憲主義を

崩壊させる勢力にしかなっていないことを分からせねば

ならない。

護憲派も改憲派も、どこも立憲主義には適っていない

中で、倉持氏が「リベラル的改憲案」を出したことは、

偉業である。

 

これを第一弾として、「ゴー宣道場」では、さらに憲法改正

の議論を続けていく。

参加者は徐々に腑に落ちるようになっていくだろう。