時浦兼(トッキー)

『新・堕落論』生きること自体が堕落なのか

時浦兼(トッキー)

新刊情報
2018年3月13日 12:19
『新・堕落論』
第4章『トカトントンが鳴らぬ者』
身近な堕落について描いた
第2・第3章を挟んで、
ここでは第1章の話に戻ります。

昭和20年8月15日、
突然「敗戦」という現実を
突きつけられた国民は、何を思ったか?
後世の価値観で歪められていない、
当時書かれた日記そのままの引用は、
今日の感覚からは想像もつかないような
激烈なものでした!

こんなことがあっていいはずがない、
死ぬのが本当だと思い、
実際に自決した人たちもいたのです。

これを読んで、ようやく
太宰治の『トカトントン』の
主人公が感じた虚脱感が
わかるのではないでしょうか。

ところが、敗戦の現実の前に、
一切衝撃を受けず、虚脱感も湧かず、
「トカトントン」も鳴らなかった人がいた。
それが、よしりん先生のお父様!

このエピソードは、強烈です。

しかし、どんなに敗戦に対して
激烈な感情を抱いた者も、
生き続けていれば絶対に
その思いは薄れていく。

それを堕落というのか。
生きていくこと自体が堕落なのか。

生きるとはどういうことなのか、
強く深く考えさせらます!