小林よしのり

わしは情の独裁者である

小林よしのり

日々の出来事
2018年 3月 5日


わしは民主主義というものが本来は嫌いである。

それはわしの『民主主義という病い』(幻冬舎)と
『新・堕落論』を熟読
した者なら分かるはずだ。

 

「ゴー宣道場」は共同体であって、わしが父権を持つ。

それは「束ねる」という意味でのファシズムである。

民主主義的手続きで、一体どこからどこまでを決めていく

のか、恐らくその民主的手続きが原因で崩壊するだろう。

 

特にわしほど忙しければ、いちいち会議のための

スケジュール調整なんて出来るわけがない。

いつもメールで連絡してるが、返事がないときが頻繁で、

伝わっているのかどうかも分かりゃしない。

メールを送っても返事がないから、ブログで書いたら、

返事が来たなんてしょっちゅうだ。

最近は、編集者までが、「返事はブログでいいですよ」と

言ってくれる。

必然、一気に決めて、一気にブログで発表!

そうなってしまう。

 

この「ゴー宣道場」の煩雑な仕事や、運営に責任を持つ

者にこそ決定権がある。そう考えなければならない。

 

だが、わし自身にも自己規制をかけている。

来る者は拒まず、去る者は追わずというルールも、

わし自身が課した規制だ。

共同体の破壊者は追放する。「情のルール」ではそうなる。

 

「ゴー宣道場」は皇位継承の危機を克服したら、解散する。

これで商売してないから、目標は定めておく。

 

それから、わしは粘着力があるが、キレやすいことも告白

しておく。

それは真言密教の寺で生まれ、祖父や母の影響を強く受けた

ために、「執着心」がないからだ。

情が深くなりがちなのは、父親の影響だ。

したがって情が深くなって狂気のように走り出すが、

失望したら一気に執着心が失われる。

これはわしの欠陥でもあるので用心してくれ。