高森明勅

女性・女系の「皇祖」

高森明勅

皇室・皇統問題
2020年 9月 5日

わが国の最初の“正史”は日本書紀。
その日本書紀を読むと、「皇祖」(皇室の祖先神)として2柱(はしら)の神
(神は1柱、2柱と数える)が“名指し”で登場する。

その1柱は、改めて言うまでもなく天照大神(あまてらすおおみかみ)だ。
神武天皇紀(日本書紀巻三)に、神武天皇ご自身のお言葉として
「我が皇祖〔みおや〕天照大神」と出て来る。

もう1柱は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)。
こちらは神代紀下(同巻二)第9段・正文の地の文に「皇祖・高皇産霊尊」
と明記されている。

先ず天照大神を取り上げると、同神は紛れもなく「女性」神だ。
そうすると、皇室の“神話”上の根源は女性だったことになる。
もう1柱の高皇産霊尊の場合、女性神と見るべき根拠は無い。
但し、同神が何故、「皇祖」と位置付けられているかに注目する必要がある。

神話では、天照大神のお子様の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が
高皇産霊尊の“娘”・栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)と結婚され、
両神の間に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が生まれた。

その系統から初代の神武天皇が生まれたとされる。
つまり、高皇産霊尊は娘の血統(女系)を介して「皇祖」とされているのだ
(古事記では娘の神の名前が違っているものの、血縁関係は同じ)。
興味深いことに、日本書紀において、「皇祖」は“女性”か、又は“女系”によって
遡(さかのぼ)ることができる神、ということになる。

「男系」社会のシナでは決してあり得ない、日本独自の神話的想像力と
言わねばならない。
神話が、それを伝えた人々の価値観・世界観の表出であるならば、
このような点にも「日本らしさ」を読み取ることが出来る。

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