笹幸恵

西部邁氏が遺した言葉

笹幸恵

ゴー宣道場・公論イベント
2021年 4月 4日
ゴー宣道場in新潟の発表のため、
さまざまな雑誌記事を読み続けている。
その中で、西部邁氏の「神格と人格のけじめ」という記事があった
(「平成皇室の命運 私はこう考える『文藝春秋』2005年3月)。
独特の筆致で皇室の在り方を論じているのだけど、
最初に皇室云々より国民の在りようを
取り上げているのが興味深い。

「一口に民主主義といっても、その『民』が
伝統精神を担うものとして『国民』なのか、
それとも伝統精神をかなぐり捨てようと
構えている『人民」なのかによって、大きな違いが生じる。
だから人民主義に傾く戦後日本の風潮にあっては、
天皇の地位を民の総意にもとづかせたとて、肝心の総意が、
過去から蓄積されてきた『歴史の英知』ではなく、
現在において表現されている『目前の関心』にすぎないものになる」

目を覆いたくなるほどひどい皇室に対する「国民の声」は、
結局は「目前の関心」に過ぎない。
時系列で皇室バッシングを追っていくと、
そのことがよーくわかる。

週刊誌の大衆的興味に完全に踊らされた、
単なる「印象」でしかない「国民の声」は、
ことごとく間違っていたと時代が証明しているのだ。

西部氏は、そのことを大局的見地からよく見えて
いたのだろうな。