小林よしのり

終わったはずの価値相対主義の、亡霊が跋扈している

小林よしのり

日々の出来事
2022年 6月 29日

「価値相対主義」の問題は、すでに結論が出ていると
思っていた。
まさか「ウクライナ戦争」で「どっちもどっち」で
善悪の判断を忌避する者が、しかも西部邁の門下から
出て来るとは、まったく唖然とするしかない。

かつてオウム真理教問題で、「価値相対主義」が横行
したときも驚いたが、当時の「SPA!」がそっちに
傾いて、わしに対して「オウムは悪くない」という
投書が殺到したから、わしは「SPA!」をやめたので
ある。

そしてわしが西部邁の「発言者」に登場するように
なったのは「価値相対主義」の克服で、西部氏と
話が合ったからである。

わしはオウムに暗殺計画をたてられて、VXガス団に
尾行されていたので、「オウムとマスコミ、どっちも
どっち」なんて知識人ゲームをしている余裕など
なかった。
オウムが生き残れば確実に殺されていた。

つまり、当事者か他人事かの差が「価値相対主義」を
生むのである。
「クライテリオン」はウクライナ戦争が他人事なのだ。
ところがわしは日本人として、他人事にはなれない。
ゼレンスキーは善、プーチンは悪!それが判定だ。

しょせん他人事の「価値相対主義」になるのは、
臆病者の戦後民主主義サヨクと同じ心性を持っている
からだ。
彼らはわしの『戦争論』にすら、まだ追いついて
いなかった!