時浦兼(トッキー)

即位の宣命が証明する「男系派」の虚構

時浦兼(トッキー)

皇室・皇統問題
2012年5月21日 12:18
よしりん先生の読者で、
現在、奈良時代以前の
皇室の歴史について描く
作家を目指して勉強中というMさんから
応援レターを頂いたのですが、
その内容が凄かったので、
一部ご紹介したいと思います。

Mさんはこのようにいいます。

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新田均氏は続日本紀の記載から
「元正天皇は男系だった」と主張します。
しかし、彼が示したのは血筋を紹介する部分だけで、
その直後にある即位の宣命を無視しています。

続日本紀は平安時代に編纂されたものです。
各天皇の血筋を紹介する部分(名称がわかりません)は、
平安時代の価値観で書かれたものです。


奈良時代の歴代天皇が、
即位するにあたって自身が
皇統のどの位置にいると認識していたのか、
何をもって自らの正当性の根拠としたのかは、
即位の宣命を見るべきです。
こちらがリアルタイムの宣言です。
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参考までに系図を載せておきます。
(高森師範の『歴史で読み解く女性天皇」)より

この中の42文武から50桓武までが、
続日本紀に記載された天皇です。
そして、それぞれの天皇が即位の宣命で、
誰から皇位を受け継いだと言及しているかというと…


42文武←41持統
43元明41持統、42文武、38天智
44元正43元明(「先帝」と言及)
45聖武←44元正、42文武、43元明、38天智
46孝謙←45聖武
47淳仁←46孝謙
48称徳←45聖武
49光仁←48称徳
50桓武←38天智、49光仁
                       (赤字が女帝)

42文武、47淳仁は40天武の孫、
45聖武は曾孫にあたり、
「男系絶対」ならば
「天武天皇から皇位を継いだ」
と言わなければいけないはずです。
ところが三方とも、
女帝から皇位を継いだと言っているのです!

奈良時代の天皇は、現在男系固執派が唱える
「天武⇒草壁皇子」という男系ラインではなく、
「天智⇒持統」および「天智⇒元明」の、
女系のラインを「自分が属する皇統」と認識し、
それを自らの正当性の根拠にしていた

という、間違いない証拠なわけです。

Mさんはこう述べています。


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宣命で述べたということは、詔を受ける側も
それを理解していたことを意味します。

君臣ともに「新帝は持統天皇の子孫だから正統」
と認識していたということです。

光仁以前の奈良の歴代天皇は、
天武の血しか引いていない淳仁も含め、
天武を無視して、持統あるいは
元明の子孫として皇位を継いでいます。
「女帝は中継ぎ」どころか、
むしろ天武が中継ぎ扱いされているようです。


もし「即位の宣命に何とあろうと、すべての天皇は
男系であることを根拠に即位している」
と主張される方がいるのであれば、
「文武天皇は天武天皇の男系皇孫であることを
正統性の根拠として即位した」
という証拠をご提示いただきたいと思います。

系図の血縁関係だけを見て「天武の男系の子孫」
だから「2000年以上男系で続いてきた」と主張するのは、
奈良の歴代天皇のアイデンティティーを否定する行為です。
これ以上はないというくらいの不敬ではないでしょうか。

奈良時代の天皇は、文武から光仁までの
8代7人が天智→持統(元明)の流れを
正統性の根拠とする双系です。
宣命で明言されていることです。

文武、元正、聖武、孝謙が
男系で天武に連なるのは、
たまたま持統が天武の皇后だったからです。

「即位の宣命に何と書かれていようと男系だ」
と主張する方がおられるなら、もっとわかりやすく
「史書に記録された大御心より私のほうが正しい。
証拠はないけど」
と言っていただきたい。

あるいは、
天皇が自らの正当性を述べた痕跡として、
即位の宣命以上に重視すべきものが
あるのでしょうか?
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見事です!


たとえ血統が男系であっても、
女系のつながりの方に
正統性を認めて即位していた
という事実が、これだけあるのです。

「男系」に固執する根拠は、
ありとあらゆる方面から崩壊しています。

今や「男系固執」を支えているのは、
カルトにハマった人々の
空疎なプライドだけなのです。