小林よしのり

男尊女卑政党ゆえの限界

小林よしのり

政治・経済
2016年 3月 27日


クルーグマンにしろスティグリッツにしろ、アベノミクスに

対する評価は変化している。

財源の捻出の手法としてはアリだったのだろうが、「供給側」の

構造改革という動機がダメだったということだ。

 

未だに第3の矢が不十分で、規制緩和すれば新たなイノベーション

が生まれると言ってるエコノミストやマスコミもいるが、

非正規を正規社員に回収するほどの大企業がこれから生まれる

なんてことはあり得ない。

近代化は労働力を必要としなくなるだけのことだ。

 

「需要側」を喚起する政策を取らなければ経済が再生することは

ないというのは、クルーグマンもスティグリッツも、もう分かって

いるはずだ。

日本の事情に少し疎かっただけだろう。

 

「保育園落ちた、日本死ね」が実は核心を突いていて、これを理解

する感覚がない限り、日本経済の復活はない。

自民党が選挙対策で、女性票の流出を防ぐために、大慌てで

待機児童に関する政策を取り繕う様子を見せても、選挙が終われば、

元の木阿弥になるだけ。

あの男尊女卑の性根が抜けない自民党では、少子化の根本解決の

方法に気付くことはない。