民主主義批判は先人がたくさんいます
時浦くんのツイッターで、『民主主義という病い』を
「西部邁が言ってたことだ」と揶揄してくる者がいるそうです。
「そうですよ」としか言いようがない。
単なる思想オタクなのか、アンチ小林よしのりゆえに、
わざと言いがかりをつけたいのか、そのどっちかでしょう。
本物の西部ファンなら、むしろこの本を喜ぶはずだからです。
もっと言えば、長谷川三千子が言ってたことです。
さらに言えば、バーグやオルテガが言ってたことです。
もっと言えば、『民主主義という病い』の中では、
誰が言ってたことかを、明示しております。
小林よしのりの「持論」と言われたくないと、あとがきに
はっきり書いております。
保守の思想は基本的には民主主義批判にならざるを得ず、
わしも西部氏からは相当影響を受けたが、歳をとるにつれ、
民主主義には本格的に懐疑的にならざるを得なかったのです。
特に、朝日新聞で高橋源一郎が民主主義の権威のように
扱われ、シールズというデモ小僧がヒーローのように
遇される惨状を見て、これほどの知性の劣化は許されない
と思うに至ったわけです。
西部氏や長谷川氏とは、安倍政権の評価をめぐっては、
完全に理解し合えません。
皇位継承問題や、経済政策も、わしは安倍政権の政策を
支持しません。
安保法制も、わしは憲法改正を困難に追い込む愚策であり、
米国追従で自衛隊を危険に晒すだけのものだったと考えて
います。
国柄の根本が皇室と思うわしから見れば、西部・長谷川
両氏がなぜ安倍政権を支持したのか分からんのです。
さらに西部氏の原発への愛着も全然理解できません。
もっと言うなら、憲法観も違っているように感じます。
このように保守といっても、米国依存の完全なるエセ保守
もいれば、西部氏のように自主防衛を唱えるまともな保守
もいれば、その保守の中でも、さらに見解が違っている
わしのような存在もいるわけです。
「保守とは何か?」というテーマは描きたいのですが、
今の国民の知性の劣化を見ると、売れないこと必至だから、
描く意欲が失せました。
もはや「ゴー宣道場」を活用して、しゃべり言葉と態度で、
伝えていくしかないでしょう。
だからこそ「ゴー宣道場」が大事なのです。