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2018.08.13(月)

「個」は生まれずオウムが生まれた~プレイバック『戦争論』インタビュー③

 

(byよしりん企画・トッキー)

『戦争論』発売当時のよしりん先生インタビュー、3回目となる今回からは、航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」平成11年1月号からの抜粋です。
かなりのページ数を使い、普段『ゴー宣』を読んでいない人に向けて丁寧に説明している記事なので、いま再び『戦争論』とは何だったのかを確認するにも最適だと思います!


戦争論を描いた動機

祖父の影響が大きかったですね。
ニユーギニアに行って、戦地でマノクワリ歌舞伎座という芝居小屋を作って役者をしていた、その祖父がわしの記憶に強烈に残っていますからね。
真言宗の寺の住職だったんですけども、信者の人達を集めて、その前で芝居をして、わしも子供心に何か何やら分からずに舞台に上げられて、芝居の真似事みたいなものをやっていましたからね。
戦時中、祖父と共にマノクワリ歌舞伎座をやっていた、役者の加東大介さんが、その経験を描いた「南の島に雪が降る」という本が凄くヒッ卜した時期があって、その時に多くの新聞記者やテレビ関係者が寺にやって来たので、うちの祖父は偉い人なのかな、どういう人なのかなと幼心に思った記憶が強く残っていますし、当時のことを思い出しては、やっぱり自分の祖父の世代が言えなかったこと、今の時代だからこそ、戦後民主主義の教育の中だからこそ、言えなくなってしまった祖父の世代の言い分のようなものがたくさんあるんではなかろうかと思いました。

この本を描いた動機は多く、今まで「ゴーマニズム宣言」をずっと描いてきた中での複雑な要素がいろいろ絡み合っているんですね。
オウムの問題、薬害エイズの問題、従軍慰安婦の問題等、全部が絡み合ってきて、ここに到達してしまったという感じですね。
個と公の問題、公共性、いかに公という意識が、それこそ個人のレベルから官僚や政治家のレベルまで全てに亘って抜け落ちてしまったのか。
それはやっぱり戦争の体験があまりにも人々にとって辛かったのか、あるいは占領後のGHQの政策でしっかりと洗脳されたからなのかは知らんが、とにかく国家というものを考えたら危険だとか、国を考えたら危ない、怖いことになるというような間違った意識が蔓延して、それに囚われてしまって、国家からどれだけ逃避するか、国家からどれだけ逃げていくかという意識だけが広がってしまった。
そして戦後、進歩的文化人達が個の確立を言い始めて、国家意識は駄目である、個の確立をしなければならないとしきりに論じたわけですけど、そこから左翼思想という個の確立という進歩的な思想とが相まって、どんどん個人主義、国家否定と宣伝してきたわけです。
その果てにほとんどの人が個人のことしか考えないという事態になったんだけれども、そこで個の確立が生まれたかと言ったら、何にも生まれず、結局は個が中空に浮いたままのオウムになっちゃったんですね。
〈続く〉

「なぜ優秀な若者がオウムに?」という疑問の答えは、『戦争論』でも描いていたのです。
「謎は残ったまま」とか言ってる偽知識人は、とにかく読め!と言いたいです。