女性が潜在的に持つパワーは凄い
「ゴー宣道場」全国推進隊長ちぇぶは今日も朝6時過ぎには新幹線に乗ってメールを送ってきた。
名古屋に東海設営隊との会場下見や打ち合わせに行っているのだ。
ちぇぶと会って打ち合わせしてると、全国から集まる連絡でスマホは鳴りっぱなし、家ではそのすべてに返信作業をしているし、東京でも門下生と会って作戦を立てているし、ボランティアでここまでやる者はいない。
トラブルは常に発生するのだが、ちぇぶは乗り越えていく。
今日は東海設営隊に、関西への協力を要請するそうだ。
「カウンター・デモクラシー」をちぇぶほど本気で信じて活動している者はいない。
わしが評価するのは当たり前で、嫉妬したってしょうがないのだ。
タダ働きで全国を飛び回るちぇぶに反発するのは実に愚かで醜い。
大概の人間は、カネのため、打算のため、承認願望のため、自己利益のためにしか動かない。
公のため、国家のために動く者なんか、ほとんどいない。
逆立ちしても自分には出来ないことをやっている者には、素直に敬意をもって従うのが当たり前である。
山尾志桜里の圧倒的な頭脳明晰さはちぇぶにはないが、「公」のためへの行動力は両者に共通する。
概して女性の方がスケールが大きくて、度胸があり、徹底的に前向きに活動する気がしてならない。
こせこせして器量が小さいのは男ばっかりな気がする。
ただし、女性は人数が少ないのだ。
社会を変革するための人数が少ない。
フェミニズム風に言えば、女性が世に出るときは、男性優位社会を支える名誉男性になってしまう。
そこが残念なところである。
だが女性で有能な個人が持っているエネルギーは大きい。
フェミニズムが嫌う「男らしさ」は、今は女の方にあるのかもしれない。
ただただ、天下国家に関心を持つ人数が女性は少ない。
たまにいたら、男よりパワーがあるのだ。
そういう意味では、田嶋陽子が言うように、専業主婦にしておくには惜しい人材が、実は多くいるのかもしれない。